私の幸福の邪魔はもうさせない
9/11
商品の作成、疲れて変な時間に眠ってしまい、散歩なし
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今年の春頃、私は自分の人生で初めて、幸福を感じていたのである。
現実の解釈が変化して肯定的になったら、事実は何も変わっていないのに、「幸せだな」って感じたのだ。
散々水を刺されるうちに忘れてしまったよあの感覚を!なんてこった!!
取り戻したぞ、今日、遂に!
久々に娘とラインでやり取りをしていた。
転職したらしい。
ほらな!彼女はほっておけばちゃんと前に進むんだよ。
良かった。自分の母の反面教師のおかげで彼女を信じてあげられたよ。笑
私はああいう時には必ず罵詈雑言を浴びせられていたものだ。
わりと、自分の正直な気持ちと、「こうありたい母親像」とが、ちゃんと一致してるんだよね。
「絶対に母のようにはならない!」という力みや緊張が無いので、自然にやっている。
だって愛してるもん!
(結婚がうまく行かなかったのは「絶対幸せになってやる!」って力んで緊張しまくってたからである笑)
「いつか猫と犬、両方飼いたい、現実的に難しいけど」
「23歳とかの現実なんていくらでも変わるよ。きっと両方飼えるよ。」
「がんばる~」
「ほんとうに望んでることってわりとそうなるもんだよ。
本当だと錯覚している夢は絶対にかなわないけど。」
「深いな。」
「錯覚が多くて人生をややこしくした人なので笑
パパと結婚したりとかw」
「それなw」
(彼女は父親と仲がいいし関係は良い、ただ、「この二人がなんで結婚したのかさっぱりわかんない、生き方がぜんぜん違うじゃん!」と、よく言われている)
「でも〇〇ちゃんが生まれたから!」
「それだよな!!」
「だから結果的に正解!笑」
「www」
私の理想の母親像というのは、
少々ガサツで、でも肯定的で、自分の人生を生きていて、本当に子供を愛している母である。
世間的に上品で心優しく見られていても、その内実は怒りや憎しみに満ちていて、自分の娘に嫉妬して八つ当たりするような母に育てられましたけど。笑
私の幸福の邪魔はもうさせない。