生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

気分を切り替えよう

全くもう、またしてもよく溜め込んだもんだ。

相手をまともな人間だと思っても無駄なんだって。

私もよくよく、いつまでも信じていたいのらしい。

他の人にとってはどうかしらんが、私にとっては害でしか無いんだよ。

気づかないうちに、もうかなり毒が回っている。

 

気分を切り替える。

聞いてもらえる人に話す。

この唯一の相手が、まあ、ありがたいんだけど、

イマイチ、発散にならないんだよね。

同じような苦労を背負って生きてきた人ではあるけど、

ある意味まだ毒が回っているからねえ。

一緒になって大悪口大会ができる人じゃない。

 

仕方ないので、

無料の相談センターを使う。

最初は現在のこの家庭の話をしていて、

「それはお母様は大変だわ」

うん、大変だよ。

ただ、実情を詳細に話し始めると、

「それは娘さんは一番辛いわね。お母さんは愚痴で発散しているもの。」

になる。

一番かどうかは知らんが、(一番だけどな!)本当に困ってるんである。

毒親カウンセラーのようなアドバイスは得られないけど、うまく傾聴してくれているので、わりと発散になった。さすが、無料でもプロは違う。

散々悪口を聞かされて育ったので、人の悪口を言うことに罪悪感があるもんで。そこを開放しないと駄目だ。そういう自分もちゃんと許せ。色々言いまくる。

「それは、お母様は相当娘さんに甘えているわね」と。

ああ、なるほど。

だから人をゴミ箱にして発散なんて、酷いことが永遠に毎日でもできるんだよね。

 

おかげさまで、少ししたら外に出てみる気分になったので、

とりあえずスーパーで買い出しでもするかと。

やはり、外に出て気分を切り替える気力も無いくらい消耗してたわけだ。

重症~~~~~~。

道々、そういえば、父の確定申告をして戻った税金を私と弟にくれるってことで、

一万円の臨時収入があったばかりだったことを思い出す。

本当は7万円ちょっとの金額を、私が3万円という配分になっていたのだが、

そこから2万円を弟に渡した。

父のためによく動いてくれているのは弟のほうで、私は書類仕事をしているだけ。確定申告も慣れたのでそんなに大変じゃない。別に見返りなどいらないが一万円くらいはもらってもいいだろう。

母が「貰っておきなさいよ」と不機嫌そうに言うけど突っぱねた。

私が弟へのささやかながらの「いつもありがとう」でやろうとしているものをいちいち指図するな。

悉く領域侵犯である。お前は中国共産党か!

「自分が役に立っていると思うな」とほざく奴から必要以上の金なんか受け取れるかよ。

あんたの「ありがとう」は呪いの言葉だってもう知ってる。

言葉の裏の意味は、

「私はちゃんとありがとうって言いましたからね!私はやるべきことはやってるんですからね!」

である。

「文句を言われる筋合いはない」

という防衛をしないではいられないだけ。

自分自身を信じるということのできない、自立出来ない人間のやる行為だ。

弱虫の過剰防衛。

受ける方はたまったもんじゃない。

「この人にありがとうって言われてもなんか腹が立つ。ウソつけ!って言う気分になる」

私の性格が歪んでいるわけじゃない。言葉通りに解釈しちゃいけない、呪いの言葉ですから。

 

で、歩いているうちに、

「このお金で何か好きなものを買おう。」

とひらめいた。

こういう発想って、ほとんど無かったなあ。

いわゆる「自分へのご褒美」ってやつだ。

こんなに我慢したんだから、自分を労ってあげなきゃ駄目じゃんねえ。

で、一万円ちょっとするしゃれたルームフレグランスを買った。

普段ならもったいないって思うくらいの出費をしなきゃ意味がない。

 

ここ数年、部屋を少しずつ自分の思うようにしていくことを楽しんでいる。

かなり片付けたし、机を塗装したり、絵を飾ったりした。

こういう私の楽しみを見ると水を差すようなことを言うのはもちろん母である。

「いいわよね、あなたは。好きなように出来て。私はおとうさんがいるから思い通りに出来ない。」

は?かんけーねーし。

「私を差し置いて人生を楽しむな」と言いたいのよね。アホか。

音楽聞いてりゃ、

「いいわね、私はお父さんがいるから・・・・・」

 

あのなーーーーー、

あなたが好きな音楽を聞けるように、

私も弟も色々とやってあげたよね。

全部無駄にしたよね。

先日、弟が母に買ってきたブルートゥースのイヤホンを

もう、「使わないなら私がもらう」と言って貰ってきた。

いくら教えても何も使いこなせないのは機械が苦手だからというだけじゃないんだよな。

結局、自分の好きなことをするよりも、楽しくもないことを頑張って、報われない報われないと文句を言っている方が好きなだけ。

もう、この人のために何をしても無駄。幸せになりたくないんだから。

 

至るところに呪いが振りまかれている。

気づかぬうちに毒が回る。

好きなことをしていると、

「いいわよね、あなたは」という母の言葉が心に浮かんでくることがある。

その度に「かんけーねーし!」って不愉快になり、楽しいことへの集中が削がれることがある。こんなことがまだ気になるなんて、私はまだまだ駄目だなあ、とか。価値判断するな。現状まだそんな感じ、それはそれで仕方ないんだから、まず認めましょうよね。

今回みたいに溜まっている時は、好きな音楽の中に入っていくのに結構な時間がかかっちゃったりする。

母の言いそうな文句が次々と頭に浮かぶ。

「いいわよねあなたは」

「近所迷惑」

「そんな音楽を聞いているから駄目なんだ」

「私へのあてつけのつもりでしょ」

まあ、過去に何度も言われたことだしね。

魔力は衰えても集中力くらいは削いでくれるよな。

まだまだ、毒が回っています。

 

もう、お祓いでなんとかなるならやりたいくらいだわよ。

ん?お祓い、意外といいかも。。。

私は自分の力でなんとかしようと思い過ぎだし。

他力本願の効力をバカにしちゃいけない。

お焚き上げの炎、

お香の香り、

お経の声、

感覚に訴えかけるように、よくできている。

信仰とかが無くたって厳かな気分にはなる。

身が引き締まる。

ま、機会があればやってみようかな。

久々に、散歩がてら神社にお参りにでも行ってみようか。

お寺でやっている坐禅会にいよいよ参加してみようか。

ま、気が向くならなんでもいい。何か新しいことを始めたほうがいい。

 

とりあえず、深呼吸。

怒りの反芻がやってきたら、深い呼吸を心がける。

言葉で発散する。

音楽で発散する。

美しいものを見たり買ったりする。

美味しいものを食べる。

映画に入り込む。

読書に浸る。

好きなことならいくらでもある。

 

そんなふうにしているうちに、

やがて、穏やかな自分は必ず戻ってくる。

 

コントロールマザー___ただの愚痴と侮るなかれ

まず、「やっぱ若い世代ってすごいよな」と感心したってことを。

先週、娘が来ていた。

母と一緒に、猫たちの話になる。

父は猫が嫌いである。

母:何も悪さをしていないのに嫌がらなくても とか、

ケアマネさん:こんなに可愛いじゃないですか~

とかく家には猫好きが集まってくる。

私が、

「まあ、本人嫌いなのにみんなに言われてかわいそうかもね 笑」

娘、

「ハラスメントだな。猫ハラ? 笑」

笑って聞いていたけど、ハッとさせられる。

もちろん、母は若干不愉快そうな様子だったと思う。

 

ハラスメントの意味がしっくりこない世代である。

私は、

自分がかなり大人になってからハラスメントという概念が出てきて、

「ああ、やっぱりそう思ってもいいんだよな」と思った世代。

次の世代はもう、それが感覚的に身についている。

なんでそうなったのかって言えば、

団塊世代から下の人たちが、

「なんで〇〇(男とか上司とかその他もろもろの理不尽な強制)の言いなりになって我慢しなきゃならないの?そんなのおかしくないか?」

と、問い続けた結果、なんだかんだで世の中が変わったのだ。

めでたいことだわ。

(ただ、苦労して勝ち取った価値観でなく、当たり前のことになってくると、それが過剰に暴走し始めるという弊害はもちろん、ある。なんでもかんでもハラスメントにするのは良くないとは思う。)

 

父が猫が嫌いなのにそれを押し切って猫を飼っている。

その時点で既に、父はかなりの譲歩を強制されたんである。

母:「ただ何もしないで見ているだけでも追い払うんだから」

娘:「嫌いな人はしょうがないよね~~~」←私がこれを言ったら大変なことになる 笑

別に正論じゃんか。

全く、頭のおかしな人の念仏を聞き続けていると、こっちの感覚もなんだかおかしくなるよなあ。

「これを言ったら逆に攻撃されるから言えない」と我慢する。

そして、我慢というのはきついので、自分の気持ちのほうを抑圧するようになる。

果てには、自分がどう思っているんだかわからなくなる。

散々この被害にあってきた訳だ。

 

そもそも、

猫を父のいるリビングに入れることを勝手にやるのはよくないよな~

と思った。(でも言わない)

なんにもしていないのに追い払うとかなんとか、母の文句を日々聞かされ続ける。

自分で決めたんだから知らんがな。(でも言わない)

母の念仏に知らないうちに誘導されて、

いつのまにか、

「勝手に猫を開放するのも、何もしていないものを邪険に扱うのも、どっちもどっちだから知らんがな」になっている。

これ、おかしいよな。

そもそもの、

「猫を父のいるリビングに入れることを勝手にやるのはよくないよな~」

という感覚を、忘れちゃってるじゃん!

父のことを悪く言うことで私を味方につけるっていう、

そういうコントロールをずっとされ続けてきたものが、

簡単に抜け出すことなんか出来ないのだ。

毒親カウンセラーの先生が、

「親子は側にいるだけでスイッチが入っちゃうから、顔を合わせちゃいけない。」

って言っていいたのはそういうことか。そういうスイッチか。

恐るべしコントロールマザー・・・・。

愚痴を延々言い続けることは、単なる発散以上に意味のあることなんだ。

だから、私が聞いていようがいまいが、そんなのは関係ないんだ。

意識でシャットアウトしていたって、限界がある。

そういうコントロールを無意識にやっているんだな。

 

この人の言うことをただただ聞き流しているだけでも、かなりの弊害がある。

やっばいわ。

やっぱ、この家を出られるものならそれに越したことは無いよねえ・・・・。

それでなくても、しょっちゅう顔を合わせているなんてもってのほかだな。

同調しなくても、同じ空間にいるだけで、影響を受けるもんだ。

ミラーニューロンとか言うじゃんね。ああ嫌だ。

そもそも、不愉快を我慢しているだけでもかなりのエネルギーの無駄。

知らず知らずのうちに気力を削がれるのはやっぱりこの影響が大きいよな。

 

たかが愚痴と侮るなかれ。

母親の愚痴は呪いの言葉だ。

呪いの効力が薄れてきているものだから、

いちいちつまらないことでブチ切れるのだ。

そして、わざわざ私から拒絶の言葉を引き出して、

「あなたは年老いた母親にきつい言葉を浴びせる最低な人間だ」

と思わせようとしている。

もう、自分が優位に立てるのは「自分は労れるべき老人だ」ということしかないので、これしか手段がないのね。

 

こういうことを言われる度に、

「お母さんが(私のことを)そう思うんならそう思ってればいいじゃん。私はそうは思わないから。別に関係ないわ。」

と言うけど、言葉なんか通じるわけがない。

あなたは冷たい、酷い、人間じゃない、鬼だ・・・・・・延々と続く。

 

私が私自身を肯定することを決して許さない。

何故なら自分が自分を肯定できないから。

一緒に地獄へ堕ちろという呪いなんだ。

 

話が通じないのは頭が悪いからでもボケ始めているからでもない。

話なんかする気はないのだ。

「なんで私の呪いにかからないんだ!」

って言ってるだけ。

 

やっぱ、おぞましいだけだわ。

再確認。

自分を大切にしよう。

腹が立つとかそういうレベルの問題じゃない。

関わるな。

 

呪い封じの曲はこれだね!

www.youtube.com

今度こそ、もう二度とやらん、今度こそ(何度目なんだよ・・・・)

一度ならず二度までも、

「私は愚痴なんか言ってない」

と言い張る、

そんなやつの愚痴をなんで私は聞いているんだ?

やめよう。

 

「自分が役に立っていると思うな」

とまで言われて、何かをする必要もない。

もともと感謝してもらおうとはさらさら思っちゃいないけど、役立たずとまで言われる筋合いは無い。

 

つまらないことで怒ってもしょうがないけど、(言い方がきついとかいつものやつ)

その度に、

それ、人に言っていいことか?

それ言ったら、人間関係って終わりじゃん?

そういう言葉を浴びせられてまで、

なんで関わるの?

 

「一階に来るな」

うん、もう本当に二度と、行かない。

そんだけのことだ。

 

しかし怒りが収まらねえ。。。

なんで100%私が悪いことになるんだよ、っていう。

まだまだ、ダメだな。

相手はそうしていなきゃ生きられない性で、そのまま先にあの世へ行く惨めな人生を選ぶ人。

私は、違う。

だから、母親がどんな人間でも関係ないのだ。

関わらなきゃ解決する、たったそれだけのこと。

 

まともに受け答えしてるからよくないんだよな~~~

なんて反省して、

でも、人の言葉を完全にスルーする能力なんか自分には無いんだよね。

できるんじゃないかと思ったのが間違い。

できもしないことをやろうとするな。

 

ここに住んでいる以上、少しでも役に立とうとしてやってることが、

全部無駄にされる。

父のことはまだしも、

猫がうるさくて困るという愚痴を聞きたくないから、

猫関連のグッズを調べたり、できるだけ遊んであげたりするけど、

そういう類の行動は全部、間違ってるんだよね。

相手はただ愚痴っていたいだけ。

私はこんなに大変な思いをしている、って主張してるだけ。

 

「ほんとうに頑張ってるよね、偉いよね」

とか、嘘が言えるんなら楽だけど。無理無理~~~~~。

 

勝手に猫をリビングに開放したかと思えば、(父が猫嫌いなので本来出入り禁止)

やっぱりお父さんが猫を追い払ったりしてかわいそう、

とか言って、また出入り禁止にする。

と思ったら、猫が欲求不満になる、と言ってまた開放する。

・・・・・・猫も気の毒だよそんなに方針変えたら混乱するじゃん

と思うけど、言ったら怒るだけなのはわかっているので言わない。

↑こういう我慢が既にストレス

ついには、

猫を飼うんじゃなかった。あの人に引き取ってもらおうかしら。

なんてことまで言い出す。

室内飼いがこんなに大変なんて、

忙しくてかまってあげられなくて可愛そう、

という愚痴が延々と続く。

つい、「別に可愛そうじゃないよ。自分で決めたことをそういうふうに言うの良くないよ。」

なんて言ったら大変なことになった・・・・当たり前だけど。

で、怒るときに私のやっていることを全否定してくるのはいつものこと。

かんけいないじゃん。。。。。

「もういい、意見の食い違う話はしない。」←これを言われるのが大嫌いらしい

「話の通じない人と年取ってまで暮らしてなきゃならいのは嫌だ。」

もう、意味がわからん。。。。。。

話が通じないのはどっちなんだ。。。。。

 

更に翌日、

ある人にある件でメールで連絡をしろと言われる。

数日前から言われてたけど、

借金の返済の件なので、

いつもきちんと届いているものを、数日遅れたくらいで催促するのも気がすすまないので、せめて一週間くらい経ってからと思ってまだメールしていなかった。

そうすると、わけのわからない憶測が始まる。

今まで、相手が有耶無耶にしようとしたことなんか一度も無いし、

何ヶ月も遅れたことも一度もない。

「いつもきっちり払う人が遅れるんだから催促しなきゃだめだ」

・・・・・意味わからんし・・・・・・・

いつも遅れる人なら催促しなきゃだめだと、それならわかるけどさ。

まあいいけど。

なんかしらんが、そこで延々と、文句が始まる・・・・。

いや、だから、私は「一週間くらいしてからメールする」って今、言ったよね?

催促するのは嫌だなんて言ってないよね。。。。。

で、つい、

「一度言えばわかるから何度も同じこと言わないでくれる?私、自分で「やる」って言ってやらなかったことないよね?」

↑この一言で相手は激怒・・・・笑、、、えないわ、全く。。。。

「出ていけ」が始まる。

自分は怒ってもいいけど、私は怒っちゃいけないんである。

お前は私の伝統芸能の師匠かなんかのつもりか?

「破門だ!」ってか?

入門した覚えはないぞ。

 

で、なんだかんだ、自分は100%被害者、私に対する人格否定の嵐になるので、

「だったらもう、愚痴を言うのやめてくれないかな」

「私は愚痴なんか言ってない。あなたのほうが言ってる。」

???????

 

愚痴っていう日本語の認識がちょっとおかしいのだろう。

「ぎんちゃんが今日、メジロを捕まえて持ってきたよ~」

と、私が言ったらたぶん愚痴なんだろう。

私は何も言ってないのに、

「猫を飼っている以上しょうがない」とかなんだとか、延々話し始めたから。

あのー、私、「猫が生き物を捕まえてくる処理をするのが耐えられない」なんて、一言も言ってないし。自分でとっとと片付けたし。

 

さらに、

母の日本語が主語が無くて何の話だかさっぱりわからない。

さっぱりわからないまま話を進めるので、

「・・・何の話?」って言う。

これも愚痴なんだろう・・・・・

 

愚痴でもなんでも言葉なんてなんでもいいわけ。

私は愚痴のことを言っているのだが、母にはこう聞こえるらしい。

「私が不愉快に感じるようなことを言うな」

で、

「私はあなたが不愉快になるようなことは言っていない。あなたのほうが私に対して不愉快なことを言っている。」

という意味のことをいってるんだろうな。

今わかったけど(笑)

そんな日本語がわかるかよ。(今わかったけどな!笑笑笑)

 

どうやら日本語が通じていないらしいことはわかるので、

「いつも愚痴言ってるじゃん?お父さんがどうのこうの・・・」

と、言い始めたら、

「もう、降りてくるな」

である。

都合の悪いことを私が言い始めると遮ってキレルんである。

 

 

まじでさ、

なんで

こんなひとと

かかわってるんだ?

こういうひと、

会話しちゃダメなレベルでしょ?

私は丁稚奉公してるわけじゃないんだからな。

相手も、学ぶべきことの多い師匠のような存在じゃないしさ。

私が唯一学んだのは、彼女を反面教師にして、

「人に対して何かをしてあげようとする時に見返りを期待すると不幸になる」

っていう、それだけじゃん?

 

つかれたわほんと。

 

今度こそ今度こそ今度こそ、距離を取り続ける。

不用意に1階に顔を出すべからず。

 

もう二度とやらない

同じこと繰り返してるよな~~。

母との接触を最低限にしないと自分のバランスが保てないわ。

話の内容が100%愚痴ってやっぱ苦痛でしか無い。

物事を前向きに解決しようなんていう気はなくて、

ただ愚痴を言って自分のバランスを取ってるだけでしかない。

つきあわされる方はたまったもんじゃない。

以前のようにまともに聞いちゃいないのだが、

相槌なんかもほとんどしないでいるのだが、

人が聞いていようがいまいが、延々と止まらないのよね・・・・・・。

相手が聞いてなくても話し続けるとか、意味がわからない。

なんでそんなことができるんだろ?

 

愚痴は聞きたくない→問題を解決してしまおう

とか、考えて行動して、結局なんにもならない、徒労に終わる。

当人は問題をなんとかしようなんていう気はそもそも、無い。

「こんなに大変なのに私はこんなに頑張っている」

って主張したいだけなんだから。

 

わかってるのに、つい、やるよねっ!

 

母のできないことをやってあげること自体は、別にどってことない。

自分にできる範囲で気の進む限りでしかやらないし。

なのに、結局振り回される。

本人がどうしたいのかわかっていないし決断もできないからね。

今回も、色々調べたことが全部無駄。

ありがちだけどな!

何かを変えるってことは、他の何かを切り捨てなきゃできないってことがわからんのよね。

だから結局、色々提示したところで、

「やっぱりそれならやらなくていい」

ってなるんだよね、だいたいが。

結局なにかにつけてそうなるってことは、そもそも現状を変える気が無いんだよね。

内容が具体的だとつい、「それならこうすれば良いじゃん」ってなるんだけど、

やっぱ、そういうことじゃないのよね。

「私は不満がいっぱいだ。でもこんなに頑張っている。」

っていう主張の変化型に過ぎないのね。

 

父がワガママで介護が意味もなく大変、

でも、もともと父はこういう人だし、悪くなることはあっても良くなることはないし、

それを変えることなんかできない。

それでも、施設に預けるのも嫌だっていうんだから、もう、最後までやるしかないじゃん。

うちの場合は父の性格は面倒でも、お金はまあ、多少は余裕があるほうなんだから、

自分ができるだけ快適に過ごせるように、お金でなんとかなることはなんとかするようにして、気持ちを切り替える以外無いでしょ、

っていうところで色々考えてきたんだけど、

結局、金も使いたくないんだよね。

そんなの知らないわ。

 

一階の猫が遊んでくれってにゃーにゃー私を呼ぶもんで、つい、降りていってしまうのだけど、

猫はかわいいんだけど、BGMにずっと母の愚痴で、その愚痴に振り回されてする結果的に無駄になる行為とで、もう、疲れた。

やっぱりやめよう。

聞き流すだけでも苦痛なんだから。

 

一階の物置が使いにくいと、衣替えの季節になるたびに毎年毎年文句を言い、

やっと直すっていう話になって、別にそんなの反対するはずもない。

文句が減るならありがたいんだから。

それがいつの間にか玄関も直したいになって、

まあ、やりたいのなら両方やれば?なんだけど。

父がそんなの許可するわけなくて、

ダメでもやってしまうか、諦めるか、どっちかしか無いじゃん?なんだけど。

いつの間にか物置は自分で少し整理して直さなくて良いことになって、

別にいいけど。

玄関を直すならむしろ向きを変えたいになって、

この古い家をそこまで変えるかなあ?とは思うけど、

それで使いやすいんならいいんじゃない?なんだけど。

これにはさすがに父は大反対で、

強行すると具合が悪くなりそうなレベルなので、

「そうまでしてできない。私が大変になる。」になって、

じゃあ結局、何もやらないのかってことで、

私が、近くの工務店だの、引き戸の玄関仕様だの、

色々調べたのが無駄になったので結構不愉快だったのだが、

少し経ったら、また、玄関の引き戸だけみっともないから変えたいになって、

ショールームに行ってみるとかいうから、

引き戸なんて需要の低いもの置いてあるかわからんので、

調べたらやはり置いてないのでカタログを取り寄せて、一部はプリントアウトして、

そうしたら「こんなに値段が高いなんてもったいない」←いまここ

最初に玄関を調べたときから値段のことは調べて言ってあるのに忘れてるっていう。

値段で無理だっていうんなら、私のやったこと最初から全部無駄じゃん?

 

別に、家族のことなんだから、自分も住んでいる家のことなんだから、手間はかまわないけど、

無駄なことをやらされるのはムカつくんですけどっ!!!

しかも、自分の思い通りにならなかったことで、

”玄関についての文句”っていう愚痴のヴァリエーションがまた増えるわけでしょ?

あんなに高いなんて、とか、父が反対する、とか、なんだかんだと。

 

ほんとうに疲れました。今度こそ本当に、もう二度と、あの人の話はまともに聞かないように!結局全部が愚痴。前向きに改善する気は無い。文句を言って生きていたいだけ。原因を取り除こうとこちらが色々やっても意味がない。

 

しかし、これでも、私は少しは進歩したのだ。

今までの私なら、父の説得まで引き受けてやっていただろうから。

それだけはさすがにやる気は無かった。

私はこんな古い家の玄関なんかどうでもいい。

変えても構わないけど今のままでも別にいいし。

説得なんて無理に決まってるし。

父は、現状を変えることとお金を使うことが大嫌いな人なんだから。

話すだけ無駄なのに話す気があることがそもそも意味がわからないし。

 

 

玄関の件だけじゃない。

父が猫嫌いなので、居間に猫を出入りさせられないので、

ダイニングが猫の居場所で、そこに古い家具を置いているのが見苦しいんだけど。

なかなかその代わりになるような家具が無くて、母が通販のカタログを見てるんだけど、

カタログの見方がよくわかってないので、あれこれ手助けしてたんだけど、

なんだかそれもやっぱり買わなくていいことになるし。

今ある家具を白く塗装するとか言ってるし・・・・。

塗装って大変なんだけどね・・・。

あれだけ忙しそうにしててそんなのいつやるの?

やってもいいけどさ、

疲れた疲れた言いまくって機嫌悪くなって愚痴が増えるわけでしょ?たまらないわ。

 

もう母と話すの嫌だわほんと。

100%愚痴だし。

必要な話でも要点を聞いてないし、

それで勝手に解釈してわけわかんなくなるし、

向こうの話も要点がわからないし、

なわけで、

もう、ほんとうに、やめる!

こんなもん我慢する意味は何も無い。

猫がかわいくてもこの苦痛のほうがヤバいよ。

 

 

「存在論的鬱」について


まさにもう物心がついたくらいからこの「存在論的鬱」というべきものがあったわけで、

「私は生きていけないんじゃないか」と思っていたし、

これをなんとかしなきゃならないと思っていた。

こんな実態の無いものとの戦いはほんとうに不毛なので、

ただ生きているだけで常に疲れ切っているようなところがあった。

 

名越先生はこの動画の中で対処法として「今の自分は自分では無いと言い聞かせる」と言っているんだけども、私がそれを自分に許したのがやっと7~8年前、うつ病の只中でマインドフルネスをやっていた頃のことだった。

今私は「自分に許す」という言葉を使ったわけだけど、つまり、

「この自分は本当の自分じゃないなんて、そんなふうに逃げちゃいけない」と思ってたわけね。

そもそも自分の感覚では「物心がついたときからなんとなくずっとあるもの」なので、「本当の自分じゃない」どころか、これが本当の自分っていう感覚だったんだよね。今でもそういう思いに囚われそうになることがままある。

名越先生によれば、5%くらいは、もしかしたら20%くらいの人にあることじゃないかというのだけど、まあ、今ならそんな気もするけれど、「もしかしたら私だけなんじゃないか。だってみんなふつうに生きているように見えるもの。もし私がこんなふうだって知られてしまったら誰にも受け入れてもらえないだろう。」と、ずっとずっと思っていた。

この存在論的鬱というものがよく表現されているのは太宰治の「トカトントン」という小説かと思う。で、じゃあ私が太宰にはまったかというと、そうじゃないんだよね。

私は答えが欲しかったから。

そういうものを表現していて、でもその中に克服法を見出したとかいうのがあるでもなく、30代なかばで自死したわけなんだから、とか。笑

もうこういう発想がそもそもダメなんだけど。

「この問題をなんとかしなきゃ生きていけない、この問題かなんとかならなければ生きていることにならない」

生真面目なんだかバカなんだかしらんけど、とにかくそういうふうにしか考えられなかったわけ。

幽霊と戦って勝つ方法なんか無いよ・・・・・・・。

 

そんなふうなので、別に特に辛いことがあるわけでなくても、楽しい日々が続いていても、むしろ幸福感を感じているときほど、生きていることが辛かった。

もう、こうやって言葉にしただけでほんとうにおかしなことなんだけど。

特に辛いことがなかったり幸福感を感じたりしていたわけでしょ?現実には。なんでそっちを見ないの?っていう、ね・・・・。

まあでも、見られないんだよねえ。。。。

 

で、私が傍から見てどんよりと暗い様子かというと、むしろその逆なんだよね。だってそれはバレちゃいけないことだから。堂々と暗い様子を人に晒していられるようならまだ楽なのかもしれない。ということで、アダルトチルドレンの道化そのものであり続けなければならなかった。

 

存在論的鬱に囚われている私も、道化の私も、どちらも本来の私では無い。なんて言ったら自分がどこにも居なくなっちゃう・・・・という、これがまた間違いなんだよね。

そのどちらでもない中で、もしくはそのいずれかを身にまといながら生きてきた私というのが現実にあって、それに目を向けようとしたことが無かったから、居ないような気がするだけ。

あまりも近視的にものを見すぎている。もう少し離れて、俯瞰的になれば現れてくる。

 

慣れないのでまだまだ何度も間違える。

亡霊とは戦わない、ただ消え去るのを待つ。

そして、

亡霊からただ目を背けるためだけに頑張るようなことはやらない。←道化ってこのためにやっているのだと気付いたのはごくごく最近のこと

どこからも気力が出てこないような気がするのは、この、亡霊ありきの基準で何かに挑もうとするからだ。

 

慣れないので、何度も間違える。

でも、もう気づいているから、引き返すことは無いんだ。

週3日、なんとか行けそう

足裏の痛みはインソールである程度軽減しつつ、

マッサージやストレッチでなんとか。

週3日、なんとか行けそうだ。

作業内容や組む相手が日々変わるので、精神的なストレスが無いのがよい。

検品~梱包の作業だと立ちっぱなしでもあまり疲れないな。

単純作業を丁寧に早くこなすのはわりと得意。得意なのでちょっと楽しい。

 

外反母趾による痛みが出たということは、

運動不足と体の歪みがもう限界に来てたってことで、

動画を見ながら色々とやってみている。

巻き肩、反り腰、O脚、外反母趾

すべて繋がっている。

これで疲れやすい体になってしまっている。

自分の身を守るような形に固まっているわけで、

もっと堂々とした姿勢で過ごしていればこんなことにはならないわけで。

体と心は繋がっている。

心のことばかりに気を取られているとおかしくなるので、

ある程度原因がわかったら、

身体のほうからアプローチしていくと、双方に良い影響が出るものだ。

うつで頭がおかしくなってたときに、瞑想の座る姿勢を保つことに突破口があったように。「そんなにがんばろうとしなくても普通に座れるよ・・・」

今度は、

そんなに防衛姿勢を取らなくてだいじょうぶ、堂々と胸を開いていたらもっと楽だよ。

 

巻き肩を矯正するということは、

心をオープンにすることに繋がると思う。

とにかく、体が防衛する形に歪んでいるのだ。

猫背になるのではなく反り腰になっているので、

見かけ上は姿勢が悪いようではない。

とかく「見かけ上は問題がなく見える」という選択をしがちな私だな。笑

 

さて、別の生活があると、やはり、家の中のことがあまり気にならなくなるので、

気が楽だ。

今日も2階の猫バリケードのことで溜めた文句をぶつけられたが、

ああ、そろそろ来る頃だと思ってたわ。

なんかくら~~~~くしてるな~~~、ってのが少し続くと、こうやって爆発するんだよね。

「不便で困る」っていうだけの話で、

「じゃあ、どうするか?」という段階を踏むのに、

「あなたのせいで!!!!」って一度当たらないと気がすまない奴なんである。

なので、感情的にならずに、言いたいことを言ったわ。

「疲れてるんだかなんだかしらないけど、なんでもかんでも私のせいにして当たらないでよ。嫌な女だな。」

なんかブツブツ言ってたけど彼女の個人的な発散なので、私には関係ないので聞いてない。笑

疲れると私に当たるんである。ずーーーーと、そうだった。

私のことを悪いように言うのには何の意味もなくて、当たり散らすために何か理由が必要なだけなので、内容に意味はない。意味がないから、本人、何を言ったかも覚えちゃいないんである。こんなのにつきあっちゃいけないんだよ。

あなたが疲れているのは私のせいじゃない。

要介護でワガママな父のせいでさえない。

もちろん元気すぎる猫のせいでも、臆病すぎるこっちの猫のせいでもない。

あなたがわざわざ疲れるようなやり方を選んで勝手にそうしているだけ。

誰も何も関係ないし、誰にもどうすることもできない。

ウロボロスはほっておくに限るわ。

 

さてと、今日も少しからだをほぐして、

楽な体と心を作っていこう。

バイト始まったよ

2日めが終了。

あまり動かない生活が長かったわりに、全体的には筋力が衰えてる感じは無いのだけど、足の裏がヤバい!

見た目にはそれほどでも無いのだけど、実は外反母趾だったようで、

足の親指に体重をかけられないために、過剰に疲れる。

一日の仕事が終わって、そんなに疲れていないんだけども、

足の裏だけがものすごく痛い・・・・・。

帰ってから入浴して念入りにマッサージして、なんとか普通の疲れになる。

休みの日はユーチューブで見つけた足と股関節のストレッチ、

それでなんとかギリギリ週3行けるかな、という感じ。

 

まあでも、適度な肉体労働はいいな、って思ってる。

パソコン使って目ばかり疲れるとか、

狭い空間に突っ立ってることの多いレジ業務とか、

そういうのよりも健康的だ。

足さえなんとかなれば続けられると思う。

 

うつ傾向になって以来、外で働く度に、

こんな、足が痛いどころじゃない、

いや、足だって今と同じくらい痛い上にさらに、酷い肩こり首のこりで顎関節までおかしくなるとか、

そういうのがあって、働くことが死ぬほど辛かったのだけど、

予想通り今回はそういうのはだいじょうぶ。

なんかさー、いらぬ気を使いすぎていたんだよなあ。自分でもわかってたけど、どうにもならなかった。やっぱ、うつだったんだなあ・・・・。

もう、そういう気遣いはさっぱり無い。笑

つまり、人にどう思われようがどうでもいい。笑

だいたい私はどんな場所にいようが、良くも悪くも浮く。

もう、しょうがない。

どんなに頑張って取り繕っても無駄だから。笑

人のことが気にならないのは、

このご時世、マスクをしているというのも都合が良い。

誰が誰だかよくわからないし、相手の表情もよくわからないし、自分の表情も気にしなくていいし、とにかく情報が少なくて良い。

過剰に情報を取り込みがちなんだよね。

 

一日目の作業内容はそれなりに黙々とやる感じだったので難なくこなせたけど、

今日はちょっとね。笑

機転は、効かないので。

一度に色々なところに目を配るとか、苦手すぎる。

で、こういう場所の責任者によくいるのが、後ろにも目が届くような機転の効くおばちゃん(もちろん年下だけど)だ!

私の動きが「なんで?なんなの?」ってな感じにムカつくんだと思うよ。

注意をする物言いがキツイぜ!

使えないやつなんですよ、すみません。

また、彼女の説明がよくわからん・・・・たぶん私と頭の構造が違う人だね。

「動かないでとりあえずちゃんと聞いて!聞いてないからわからないのよ!」

ごめん、聞いててもよくわからないもんでとりあえず動いちゃうんだよね~~~。

「あの左」って言われてもわからんのよ・・・・

(・・・・・なんの左???)

とりあえず自分の思ったものの左に台車を運ぶが、これがいちいち間違っている。笑

なんでこうなっちゃうんだろうね~~~~。

私やっぱり、女の人の独特な喋り方がよくわからない。

とにかく「アレ」がわからない。笑

アレって何?笑笑←それまでの他の人の動きをちゃんと見ていればわかるはずのアレ

さらに、一つの作業に集中していると周りが見えないので、

気がつくと他の人が私のやるべき作業をやってくれてしまっている・・・・。

ごめん・・・・・・。

もうね~こういうの、感覚的にこなすことができないのよ、

なので、自分が集中しそうになってきたタイミングで周りを見る、という感じでやるしかない。それが精一杯ですわ。

彼女も、思い通りに動いてくれないぼんやり女にはムカつくだろうけども、

こっちもあなたを「いちいち感じ悪い女だな」と思っているので、

お互い様っていうことで!

私は、使えない奴にでももっと優しい言い方できるよ~~~。

そう、こういうのはお互い様だよ。

昔はとてもそうは思えなくて、なんとかついて行こうとしては空回り、

もう、やらない。ただの無駄だから。

慣れればそれなりにはできるしね。

 

ま、とにかく、

母と同じタイプの女とは基本、合わないな。笑

 

 

簡単なサンドイッチのお弁当と水筒を持って、

Tシャツに黒のスキニージーンズ、もしくはダメージ加工のジーンズ、

お気に入りの腰で巻くタイプの短いエプロンをして、

肉体労働でもそれなりにおしゃれをする。

私はこういうのが楽しい。

浮いてるけどやる。自分のためだから。

 

さて、足の指と股関節のストレッチで、早く足の筋肉が復活するといいな。

バリバリに肩が凝るのはもう過去の私。