インナーチャイルドに向き合う
要は、インナーチャイルド・ヒーリングってやつである。
今は付き合いが途切れてしまってる友人のグループが心理の勉強会をやっていて、
私はそこには関わらなかったのだけど、(何しろ当時は今よりももっとお金が無かった)
「インナーチャイルドが出た~~~。キツかったー。」
みたいなことを言ってたりした。
なんとなく気になって一人でそういうのの真似事っぽいのを試してみたこともあったが、「????」って感じで笑
まあ、いい加減な自己流でも、「なにかがある」って感覚は得られるわけだが、全くつかみどころがない。あれ?って思った瞬間に消えるイメージ。
無理だと思うわー。自分を虐めまくってた時期のことで、怖くで出てこられないと思うよ、その、インナーチャイルド。
準備もできた時期だし、そこにスイッチを入れていただいたら、もう、昨日の今日で第1段階が出た。
中学生が描く絵みたいだ笑 中二病だ笑
でも、こういう暗さをもっと「ひと前に出せるような絵」に持っていったら面白いかもね。
今までに描いてきた絵は「死にものぐるいで求めた綺麗事」で、
それはそれでいいんだけどね。
自分の感情をありのままに見つめることを心がけてみたこの一日。
悲しくなったら嬉しくなったり、コロコロ気分が変動する。
そんななかで気づいたのは「無感情」がかなりの時間を占拠しているってことだ。
で、自分に声掛けをする。
「どうした?わかんないか。わかんないならわかんなくていいよ。でも、だいじょうぶだよ。もう大丈夫だからね。」
そのくらいしか言えないけど、まあ、こんなもんだろう。
昨日の晩、アマゾンプライムにドラマ「カルテット」が上がってたので見ていた。
満島ひかりがすごく好きなんだ。
髪の毛バサバサにして寝起きの、ちょっと不機嫌っぽい表情とか、たまらなく好き。
で、今日になって、
「満島ひかりのあの表情描きたいなあ」って画像検索してた。
笑顔もいいんだけどさ。なんかこう、ちょっと無理して笑ってる感じがして、何故かそこが魅力的で。でも、なんかもっと、できるだけ表情の無いやつ・・・・。数少ない中から、2点だけ、まあまあの写真を見つけた。
似顔絵を描きたいわけじゃない。
あの無表情を味わうために描く。
そうしてさらっと描いたのがこの元の絵で、
パソコンに上げたら少し色を付けたくなって、
赤と黒。それ意外あり得ないと思った。
で、まずまず、描きたかったものになった。
そうそう、こんな感じだよ。
鏡には映らない私。
無感情。(怒りや悲しみが背後にありそうな)
何を思ってそのスイッチが入るのか、まだ、さっぱりわからない。
でも、「何か」を思ったはず。いずれ見えてくるはず。
原因無しに起こる物事なんて無い。
マインドフルネスをやっていた時、先生に、
「朝、目が覚めると瞬時に何の理由もなく、ものすごく暗い気分になる」
と言ったら、
「何の理由もないなんてことはないんです。何か、考えたはずです。」
と。
そのつもりで意識していたら、やっぱり、寝覚めの一瞬に、
「ああ今日もまた目が覚めてしまった。昨日と同じ苦しい一日が始まるんだ。」
という思いが、瞬間、よぎってるのである!!!!!
そもそもそんな話になったのは、目が覚めて意識が上ったらまず「慈悲の瞑想」をやる、というワークがあって、これが、もう、とてつもなく辛いのだ。
当たり前だよな。
目が覚めると同時にそんなことを思っていて、
「私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願い事がかなえられますように・・・・・・・・」
で始まる文言を唱えたら、全部ウソになっちゃうもの!
で、目覚めの瞬間によからぬ妄想を抱いていることに気づくと、
それは単なる妄想だから怖くなくなる。
怖くなくなると妄想は徐々に消えるのである。
で、なんとか、慈悲の瞑想ができるようになっていった。
まあ、それにしても、何種類かのワークの中で、一番楽とも言えるこの「慈悲の瞑想」が、私には一番キツイものだった。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」とかは大丈夫。
「私を嫌う人たちが幸せでありますように」でさえ、抵抗が無いんだけど。
主語が「私」の、一連の言葉が最も空々しく感じられて。
そりゃそうだよね、
ものすごいうつ状態だもんさ。
幸せなんてイメージできないし、
悩み苦しみしか無い日々の中にいるし、
自分の願いことなんて「この苦しみが消えること」意外には何一つ見えてないんだから。
心なんかこもらなくてもいいからとりあえず毎日やる、そのうち心が入ってくる、っていうね、
体→心 方向なので、そういうものなんだよね。
心がぐっちゃぐっちゃでもう手のつけようが無い状態だから
「もうこれしかない」っていう確信のもとに始めたわけで、
気が進もうが進むまいがやるしかないわけ。
どのワークも、「ここから抜けるにはおそらくこの方法が一番だと思う。でも、こんなもん、もし、うつが治ったら絶対にやらないんだから」って思ってやってた。とにかく、どれもこれも、とてつもなくキツかった。
そもそもが、妄想だろうが何だろうが、全部ひっくるめて肯定したい、という、多大な夢(?)を持っているので、根本的に合わないと思う。
ロックンロールを否定する気?ゴッホ(その他諸々)の絵画を否定する気?
とか、思っちゃうんだよね。別に否定してるわけじゃないんだろうけどさ。
まあ、そういうわけで、
「鬱ってほどじゃないけどなんかまだ問題がある」
というこの時に、
瞑想とかをまた始めてみればそれはそれで意味があるんだろうけど
あんまり気が進まないんだよね。
道は違えども、マインドフルネルも心理療法も、どちらも「今ここ」に向かうものだとは思う。
でも、今回はこっちから行きたい。
西洋的な考え方もおそらくどんどん進歩しているわけで、
特に人間の心の問題については、
「悪いところを切り取って取り除けば大丈夫」っていう
なんかこう、土木工事みたいな医療(薬でも理屈は同じ)が通用しないわけで、
精神科医療はまだまだこの土木工事(鬱だから抗うつ薬、不安だから抗不安薬)だからおかしなことになってるのだと思う。
だから、最初から、医療機関とは距離のある個人経営のカウンセリングを探した。
カウンセラーのブログがアップされていて、その内容に惹かれればOKという基準。
(ブログの内容が私的にいただけない方もけっこうおられるもんで)
家から近いことも条件。
それだけで検索して、検索トップに出てきたカウンセラーで、「あ、この人にしよう。」って、すぐに決まっちゃった。
導かれるかのように。笑
そういうわけで、
今回はなんとかして薄めなきゃならならいほど苦しいわけじゃないけど、
この問題としっかりと向き合いたい。
自分の喜びも苦しみも怒りも悲しみも、正面から受け止めたいという思いがある。
インナーチャイルドなんて、マインドフルネスの先生に言わせりゃ妄想である。
妄想というのはあっていけないわけじゃないが、そこに意識を集中させずに距離を取って(こだわりを捨てる)、「今ここ」にいましょう。と。
もちろん、全然間違ってないのだが。
拘りは、捨てられるものなら捨てたいけれど、
自分の捨てなきゃならないものが一体何なのか、しっかり確認しておきたいんだよね。
だって、こんなに長い間、ものすごく重いのにもかかわらず捨てられずにいるんだもん。それを必要としているのには理由があるわけで。そういうバカな自分も愛したいんだよ。
傷の痛みが酷い時にその痛みに意識を集中させてしまうと、より痛むものだ。
だから鬱の時にこんなことを始めちゃいかんと思う。
痛みに集中しないでいたほうが、傷の治りは早いだろう。
薬もよく効くはずだ。
そして、治るものなら自然に治る。
でも、もうそんなに痛くはないんだけどまだ時折痛みが走るこの時に、
「私はなんでこんな怪我をしたんだろう?」ってことは、ちゃんと考えておきたいんだよ。
追体験して痛みが増してもね。
ああ、今日も長文。笑
久々にブルーハーツを聴いている。
ブルーハーツは、
日本人の
日本人のための
日本人による
ビートルズだと思っている。
♪建前でも本音でも 本気でも嘘っぱちでも
こういう全肯定が好きだ。