生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

毒親のもとで育った子供の可能性について考えてみた

2012年にうつが再発した時、

自分が作り出している母の声には、まだ悩まされていた。

部屋をきれいにしていないことでは特に頻繁に、子供の頃から叱られ続けてたわけだけど、

それは今思えば、「叱る」なんていう生易しいものじゃなかった。

「部屋をきれいにできない人間は、他のどんなに凄いことができても、人として失格だ」

これを何万回も言われているので、部屋をきれいにしていないと、ものすごい不安感に襲われる。それで、潔癖症になるとかだとわかりやすいんだけど、そうではなくて。

とにかく片付ける気がしない。なんとか一通りやっても、

「まだ、背の高い家具の上のホコリが・・・」「アルミサッシの桟が・・・・」とか、完璧でないってことが気にかかるので、部屋をきれいにした満足感が得られない。で、どんどんやる気が出なくなるという負のスパイラル。

母は掃除とかにマメな人で、そういう母のレベルじゃなきゃ失格だと、私は思ってたわけ。

あんなふうにきれいにしていられるのは、趣味レベルで掃除ができる人だけだ。

母は、ダスキンだとか、雑巾だとか、一日に何度も手にして、気づけばササッと拭いている。そういう積み重ねがなきゃ無理なんだよね。

 

もう、うつになると、幻聴では無いんだけど、「部屋を掃除しなきゃだよなあ・・・」って思うと、「汚い!」「人として最低!」とかいう母の罵声をありありと思い出しちゃう。さらに、うつで頭がおかしいので、「あー私は生きる資格がない」ってほうにどんどん思考が行くんだよ。

別に、ゴミ屋敷みたいになってるわけじゃないのだが。きれいじゃないだけで。

そもそもうつで寝込んでいるわけで、あまり物を動かさないのでさして散らからない。食べてはいるので、片付けてない食器とかコンビニ弁当の容器とかが置きっぱなしなことはあったけど、テーブル中埋め尽くされてるとか、そこまでじゃない。ゴミ箱にゴミを捨てるのもかったるいくらいの激鬱状態にあってのことなので、この程度のレベルで人間失格なわけはない。

 

まあそれでも、これは、まあ、克服したわけさ。

もう、「ああ散らかってきたなあ」と思っても、母の声なんかいちいち思い出さない。

 

自分のタイミングで、「あーー、もう、これじゃイライラして仕事が捗らないわ」とか。

そしてやはり私は、うつが寛解して正気に戻っても、掃除とかは、できるだけやりたくない人だった。

他のことしてるほうが楽しい。

だから、マメにはやらない。ほどほどにやる。

でも、散らかっていてももう、あんまり罪悪感は無い。

掃除なんてその気になれば、完璧にやらなきゃとか思わなければ、いつでもできるし、その気になってから始めるとちょっと大変にはなるけど、取り返しのつかないことにはあんまりならない。年レベルならなるかもだけど。

という、当たり前の、ふつーにズボラな人の感覚になったんだよね。

 

で、母がよく言っていた

「部屋をきれいにできない人間は、他のどんなに凄いことができても、人として失格だ」

の出どころは、私にはなんにも関係がない。

「私はこんなに凄いんだから掃除なんかしなくてもいいんだ」

なんて、言ったことも思ったことも無い。

 

出どころは祖母である。

祖母の部屋はいつも足の踏み場がない散らかり様で、

それを自分の欠点とは思っていない人だった。

それでも、きれい好きの母にはちょっと引け目は感じていたらしい。

で、負け惜しみに、

「私は掃除をする時間があったら本の一冊でも読んだほうがいい」

とか、言ったらしい。

まあ、何かに付けて学歴のない母のことを下に見るようなところがあったので、

母は激怒である。

この愚痴は何万回も聞かされた。

おそらくそれから、私が部屋を散らかしていると人間失格攻撃するってのが始まったのだと思う。

とんだとばっちりだ。

私、関係ないじゃん。。。。。。。。。。。。祖母の投影じゃん。。。。。。

 

何万回も聞かされるとさー、普通に考えて変なことでも、洗脳されるのよ。

自分の親はまともな親だと思って疑って無いしね。

なんとなく「部屋をきれいにできない人間は、だめな人なんだな」

って、思ってた。

もうさー、こういう全否定ってのがそもそもおかしいのよ。

部屋は汚いけど、仕事はできる人、とか、いくらでもいるし。

それみんな、人間失格か?んなバカな・・・・・。

仕事ができるのはその人の長所で、部屋が汚いのはその人の短所。

そんだけのことが、なんだかわからなくなってしまうんだよね・・・・・。

 

なんかさー、色々、多岐にわたってこういうのがあるんだよね。

人として最低とか。女として最低とか。

きっとそのそれぞれ全ては、私と関係が無いもので、

他の人に対する怒りを、私に投影して発散してるだけだったんだと思う。

本人にはそんなつもりはさらさらないだろうが。

 

うええ・・・・私、めっちゃかわいそうじゃん。。。。

 

そんでさー、

けっこう、こういう気付きってあって、

最初から「そんなのおかしい」って抵抗し続けてる問題もあるし、

もしかしたらまだ混乱している問題もあるかもしれないし。

今の私ってわりと、まあまあ生きていける自分なんだけど、

「元気にやってたのに、なんだか急に何もかもやる気が無くなる」

とか、

「将来のことなんて恐ろしくて考えられない」

とか、

妙な生きにくさがまだまだあるんだよね。

 

「わけのわからない虚無感」ってのは、

物心がついたころからあるのよね。

物心がついたころの自分の家族のことなんて、思い出せないよね。

この「虚無感」ってやつは、やっぱり、絶対に解消したいんだけど。

 

子供の頃、弟と遊んでいた記憶は、数少ない安らいだ記憶なのね。

幼稚園のころの私は、同じ幼稚園児とは遊べなくて、いつも先生にひっついていたし、

幼馴染がいたけど、ものすごく負けず嫌いな女の子で、

いじめられたりはしなかったけど、あんまり楽しかったような気はしない。

全く楽しくなかったってほどでも無いんだけど。あんまり。

 

そんでさー、チラッチラッと、母の笑顔のような記憶もあるような気がするけど、

ほとんど母の記憶ってのは無いのね。

父がなんだか怖かったのは覚えてるけど。

で、家の中で4人揃っているイメージが、ものすごく暗いものなのね。

弟と二人の記憶だけがほわっと明るいんだけど。

 

思うに、この頃は、母はまだ、それなりにまともだったんじゃないかと思うんだ。

うちの父は無口で常に不機嫌でケチで子供に全く関心が無かったので、

母は、「私が子どもたちを守ろう」って感じで頑張ってだんじゃないかな?

わからんけどね。後からそう言われてそう思わされてる可能性だってあるからさ。

 

いつも髪の毛をきれいに結ってくれた記憶。

良い服を着せてもらってた記憶。

まあ、自分ではあんまり気に入らないものもあって、嫌だって言っても通らなかったけど。

なので、見栄優先ってのはあっただろう。

お人形扱いではあっただろう。

ただ、泣いているのを制されるっていうのも、この頃は無かったような・・・・わからんけど。

まあ、安心して母にがっしりと抱きつくとかは無くて、

そっと母の傍にくっついていただけのような・・・・。

 

幼稚園の年中から年長に上がった日に、大泣きしてたのを覚えている。

どうしたの?って聞かれても自分でもわからん。不安で不安でどうもなんないで泣いてた。今思うと、環境の変化が怖かったってことだと思う。

そしたら、違うクラスになった。

担任の先生がちょっと怖そうな先生で、それが嫌で泣いているって母は思ったらしい。

優しい先生のクラスに変えるように頼んでくれたらしい。

まあ、そのせいで、一人だけお誕生日席になっちゃって、ミカちゃんって子に虐められることになっちゃったけど。それは母の責任ではない。

 

とにかく誰とも友達になれずにずっと先生にひっついてるし、

お誕生会とか何かイベントのある日はずっと泣いてたし、

こういうのって、母親は心配するんじゃないのかなあ?

そんなようなことを聞いたことがある。

「でも、女の子だからそれでもいいと思ってた」

どうなんだろうこれ・・・・・・やっぱ、変っちゃ、変。

うーーーん、まあ、家ではいい子にしてたと思うので、

「育てるのが楽だった」らしいんだけど・・・・・

「育てるのが楽だったからまあいいや」は、やっぱり、変か・・・?

まあ、少なくとも私ならそういう発想にはならないはず。

 

でもさー、これを書いていて気づいたけど、

私、イベントとかそういう非日常って、実は怖いんだよね。

楽しみな約束とかも、すっぽかしたくなるんだよね。

行っちゃえば楽しいのはわかってるので、

エイヤッ!て勇気を出して行くんだけど。

こういうのも幼児期の不安定から来るのかー。

これが無ければ色々楽だろうなあ。

まあ、別にもういいけどさ、

少なくとも「生まれつき」じゃないわけだ。

そういうのが怖くない私、っていう可能性は、無くはないんだね。

 

環境のせいにしても何も解決しないけど、

自分が悪い、生まれつき、と思っていた色々なことが、

自分はちっとも悪くない、ってことになると、

それを克服しようと何かをする時に、

「どうせ私は無理、生まれつきだから」って思ってやるのと、

「きっとできる、たまたま環境が悪かっただけだから」って思えるのとじゃ、

全然ちがうよなあ。

 

まあさ、子供時代に幸せだったことで全ての可能性が開花するわけじゃないし、

不安定の影響でそれが個性になって人から求められるってこともあるので、

別に、過剰に気にしなくてもいいと思うんだ。

ただ、大人になってもずっと生き苦しさを抱えて、それが鬱になったり、

親との妙な関係から逃れられなかったり、

他の人間関係にも影響してるってなったら、

頑張っているのに、わけがわからず、同じところを延々と回り続けているような人生になってるとか、

そんなんだとさ、

「私は生まれつきそういう人間、それでいい」って開き直るってのは、なかなか、しんどいよ。

 

あー、そこかーーーー。

そう、開き直れば頑張れるだろう、っていうところなんだよな、今。

で、なんかやっぱり、しんどいみたいなんだよね。

だから、この2ヶ月、元気とやる気が出ないんだよ。

その前まで、生き返ったようだったのに、

やっぱり、こういうのって続かないんだーって。

もうそれで自分を責めたりはしないんだけど、

だから、そんなに辛くは無いんだけど、

なんで私「それなりの幸せ」なんかを目指してるんだろう?

「それなりの幸せ」が生きる目標で、そもそも元気なんか出るわけ無いじゃん!!!!!

↑今、気がついた・・・・・・・。

 

生まれつきとかじゃなくって、

もっと頑張りさえすれば、可能性ってまだあるよ。

そう思えるだけで、この同じ現実が、全く違う見え方になるはずだ。

 

可能性をかなり潰されている状態で、ここまで生き抜いてきたんだよ。

ここからまた、自分の何%かの可能性を取り戻せるとしたら、

同じ世代の中ではかなり未知の可能性に満ち溢れてるわけじゃん。笑

ふつう、もう、人生、下り坂下りまくってるんだけど、

私、ここから登れるかもしれないんだよ。

で、苦しんだ分なんかの筋肉みたいなものは人よりも多く身につけているかもしれないので、

数十年分を10年とかで得ることができるかもしれない。

 

これだけでも、色々と、

これからやることのモチベーションになるよなあ。

 

 

うーーーーーん。

あるよなあ、あるよ、あるある。

 

自分に自信を持つのに根拠なんていらないんだよね。

漠然とした自信でいいんだよ。

漠然とした不安なんか抱いて頑張ってたら、折れるよなあ・・・・・。

失敗したら「やっぱり」って思わされるもん。

「だいじょーぶ」って思えていれば、

失敗しても、明らかにバカなことやってないかぎり、「たまたま運が悪かった」で済むよね。

 

あー、幸せな人って、やっぱり、頑張ることが私とかよりもずっと楽だから幸せになっているんだな。

ずっとずっと、誰もがこんな負荷をかけられているわけが無いと思ってた。

なんでみんな、普通に生きていられるんだろうって思ってた。

 

開放できるかもしれない。

もっと楽に、前に進めるかもしれない。

 

まだ、ちょっと、怖い。

なんか、飛躍した理屈をひねり出しているような気が、しなくは、ない。

急に未来が明るく開けても、

今更頑張るより、寝込んでたほうが楽、とかそういうことには絶対ならない、って、言い切れない。

でも、もうそれは、勇気と決断、それだけじゃないのかな?

 

うーーん、一人じゃちょっと怖い。

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