生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

毒親の悲劇のヒロインバージョンは既に始まっている・・・・・

今、昨日のことを思い出して、愕然としちゃったんだけど。

毒親が悲劇のヒロインバージョンを展開するかも!

ってさ、

いやそれ、もう、とっくに始まってるよ!

 

ていうか、今頃気がつくバカだよ私も。

 

一昨日、私は母に言いがかりをつけた。

怒るほどのことじゃないのかもしれないのだが、

「まだ私の猫の飼い方に文句言う気!」

というスイッチを彼女が押したのは確か。

 

 

「そういうことを度々言われるから私はいつも怒ってるんだけど!」

もうさー、前回のでよくよくわかったけど、

私の言い分なんか聞いちゃいないね。

「もうなんであなたはいつもそうやって大きな声で・・・・」

って、なんかあんまり怒らないで弱々しく逃げた。

 

もうさー、私の言うことを否定できなくなってるもんで、

最近は「声が大きい」「言い方がキツイ」っていう攻撃しかできないわけよ。

だって、私の言うことはいつも間違ってないんだもん。

 

そんでよ、なんか次の日様子がおかしいのよ。

いつもだったら酷い言い合いをしても結構ケロッとしてて、

(出て行けだのなんだの散々言っておいてなんなんだろう?)

って、感じなんだけど。

なんか、珍しく元気が無い様子。

 

ま、いっか、知らねえし。

と、ほっといた。

 

したらさ、しばらくして、母が2階にある大きな脚立を階下に運ぼうとしてるの。

危ないじゃん・・・・・。なにやってんだ?

「わたしがやるよ」

「だいじょうぶ」

だいじょうぶなわけないじゃん。。。。

「危ないよ。やるよ。」

で、運んだ。

 

「そこ置いておいて」って言うんだけどさ、

どうやらカーテンを外そうとしてるのよ。

うちのカーテン、天井から付いてるから、外すのは私でも大変なんだよ。

なんでそんなの自分でやろうとしてるの・・・・・???

弟が来る日に頼めばいいのにめんどくせえなあ・・・と思いつつ、

何も言わずに、カーテン外してあげた。

 

えっと・・・・・・・・・・・

わざとだろ・・・・・・・・・・

意識してか無意識か知らんけど、わざとだろ・・・・・・・・

 

私が

「あぶないからやめてよ!」

「弟の来る日にやればいいのに!」

とか、

そうやってまた大きな声で母を攻撃する状況を作って、

「あなたは本当に酷い・・・・」

ってのをやりたかったんだよ・・・・・・・・。

 

間違いないわ。。。。。。。。

 

どこまでかわいそうなやつなんだよ・・・・・・・。

何が楽しいんだよ・・・・・・・・・。

 

でも、そういう人なんだ。

私に罪悪感を抱かせるためにやってる。

 

こういう人はたぶん、

「かわいそうな自分」を演じるために、本当に病気になったりとか、

なんか、色々なことができてしまうような気がする。

なんだか、ものすごく面倒なことが起こり得るような気がする・・・・。

 

とにかく、

最近は母がどんなに私を否定して酷いことを言っても、

私は全然傷付かない。

出ていけと言われても堂々としている。

「あなたは最低の人間だ」攻撃は、もはや通用しないのだ。

この前も「鬼だ」とか言われたけど、ぜんぜんへーき。

だって私鬼じゃないもん♪

これが気に入らないので、

「尽くしてきた母親に対してひどい仕打ち」

で、罪悪感を抱かせることで、コントロールしようとしてる・・・・・。

 

なんかさーーーーーーーー

意味わかんねえ。

そんなもんしか生きる拠り所にできない人生って何?

(無意識だけど)自分の娘の人生を犠牲にしてしがみついてるその生き方は何?

 

おぞましいよ。

 

自分の母親にこんな言葉を使わねばならない。

 

でも、おぞましい、って認めないと、ここから逃げられない。

 

きっと、やりたくてやってるわけじゃないんだよなあ・・・・

そういうふうにしかできないんだよなあ・・・・・

でも、それ、自分とちゃんと向き合って考えないからだよ。

自分から逃げ続けてるから、どんどん追い込まれているんだよ。

 

テレフォン人生相談にいっぱいいたよ、先生の指摘を認めない醜い母親が。

 

私が言ってることのほうがいつも正しかった。

それを認めたら苦しいかもしれないけど、

その先にしか未来って無いのに。

「かわいそうな私」になるのか。これからも、どんどん、不幸になるのか。

関わる者を犠牲にして・・・・・?

 

逃げなきゃ。

こんなややこしいゲームに参加して、

あの母に勝てるわけがない。

こっちの手の内には「バカ正直」っていうカードしか無いんだもん!

 

もしかしたら、もし、この先、

私が全ての重荷を手放すことができたら、

今からでも経済的な自立ができる時が来るかもしれない。

もしかしたら、それはそんなに遠い未来では無いのかもしれない。

そうしたら、家を出ることだって考えていいんだ。

 

その時は、誰に何と思われても、親不孝と罵られても、

だいじょうぶ。家を出よう。

私には幸せになる権利があるんだ。