高齢者を安易に医療拘束する、嫌な国だよこの国は。
相変わらずの小康状態で。
そうこうしてたら、またちょっとした問題が。
高齢の両親との同居で、父が軽く要介護。母が全面的に見ているので、特に何事もなくのここ半年。
ところが、急に誤嚥性肺炎。入院になった。翌日には熱も下がって、体力があるので「重篤では無い」ってことで、まあ、ただそれだけなんだが。
うちの父の場合は近年、ちょっとした入院でも大変な問題がひとつあるのだ。
普段はボケてるってほどじゃないのだけど、体調を崩すと少し頭が混乱しがち。で、元々の神経質な性格のせいもあって、入院になると、点滴のチューブとか、体に付けられたものがとても気になるらしく、反射的に引き抜いてしまう。高齢者にはまあ、ありがちなことらしい。
で、これをやってしまうと、「生命の危険に関わる問題」ってことで、医療拘束するのが日本の殆どの病院。
まずは、ミトン拘束ってやつで、手のひらを指の無い綿入りの大きな手袋状のもので覆い、自由が効かないようにされる。指先が使えなくなるので、チューブなどを外すことができなくなる。現在このミトン拘束で2日経ったところ。
さらに、我が父の場合は頭が混乱してくると、尿をもよおすと何より先に紙パンツを下ろしてしまう(排泄へのこだわりが強いため、間に合わないことを恐れてか、とにかく先に脱ごうとする)っていう問題があって、「つなぎ」っていう、自分では着脱ができないパジャマを着せられていたのが入院2日目。
病院にとっては厄介な患者だ。それはよくわかる。でも・・・・。
普段は受け答えなどに全く問題が無い父である。家の中では杖なしで歩いてトイレに行っている。ただ、こんなふうに体調を崩すとなんだか急に判断力が変になる。たまのそんな時でも、家ではそれなりに対処している。特に持病もなく体力もあるので、数日で元に戻る。
手に医療ミトン、用を足すのはトイレでは無くおむつ強制、立ち上がらないで寝ているようにと指示されて、しかしながら、熱も下がって体調はさほど悪くない。ミトンではテレビのリモコンが扱えないので、終日、ベッドの上で壁の一点でも見つめているしか無い。かなりキツイだろこれ。。。。頭おかしくなりそうだろ。。。。。で、高齢で少々のボケがある場合、まず、一晩経過すると、完全に認知症って感じになる。せん妄って言う症状が出る。「あそこから水が漏れてる」とか、ありもしないことを言うようになる。
「できるだけ早く退院させてもらいたい」とは伝えてあるけれど、まあ、概ね病院ってのは体の機能の安全を最重要とするもので、「心理的なストレスで明らかに具合が悪くなっている」ということにはあまり目を向けない。
高齢者のボケが進む心配は、「点滴外されたら危ない」の前には心配のうちには入らない。それが病院。もう、嫌というほど思い知っているいつものこと。
心臓の何かの数値が良くないとかで、心電図を付けられている。普段は何でもないのだが、父の場合、入院になるといつもその数値が下がるので検査するほどのことも無いんだけど、それはさすがに通るはずが無いのでもちろん口にはしない。「MRIの検査結果が出て問題が無ければ退院になるかもしれないがなんたらかんたら・・・・」
心臓がどうだか肺がどうだかっていうことも重要なことかもしれないが、一晩で高熱が下がったくらいなので、家族から見たら、体よりもむしろせん妄のほうが心配だ。せん妄が続くようになると介護も大変になってしまうのだから。
早々に退院させて心臓や肺に問題が生じれば病院の責任だけど、認知機能が衰えることは、「入院で環境が変わると、高齢者にはよくあること」で済む問題なのらしく、もう、これ、耳タコだ。
いつも思う。「医療行為の都合上拘束は仕方ない」で簡単に済ませて良いわけがない問題だ。
今はミトンとつなぎ服のみで様子を見ているけれど、父が勝手に立ち上るのは目に見えている。そうなると、次は両手をベッドに繋がれることになる。あれだけはもう二度と見たくない。
誤嚥なので、たん吸引が必要で、これが、かなり苦しいものらしい。
意識がはっきりとある状態で、動ける体を動けないように終日固定されて、日に数回の苦しい処置をされる。飲み食いも出来ない。
普通だったら「拷問」としか言いようの無いことを人間にする権利が、病院にはあるのだから、すべてのことを「仕方ない」って思考停止せずに、普通に、色々なことを考えてそれなりの配慮をしてもらいたいものだ。仕方ないなりにできることはあるはずだ。
一応、厚労省には医療拘束のガイドラインてのがあって、「切迫性・一時性・不可避性」っていう原則。でも、ただのガイドラインで罰則もなく、何の役にも立たない。数年前、父は9ヶ月の長期間、医療拘束されていた。8ヶ月って「一時」なのか?
人権意識の低い国なのだ。特に欧米で医療拘束は減っている、イギリスではゼロだ。日本は高齢化社会のせいもあってか、増加している。恥ずべきことだ。
色々な問題があってなかなか改善が難しいことなのは十分わかってはいるけれど、私が気になって仕方ないのは、
「そもそも人間にこんなことしていいの?」
そういう発想そのものが多くの医療従事者に欠落していることだ。
父は誤嚥があるので、これからもこういうことは起こるだろう。今回は初めてのことだったので、高熱が肺炎を起こして出たものだという認識が無く、ただ、いつもよりもひどい咳込みが続いてはいても、診察して、たん吸引の処置をすれば帰宅できるものと思い込んでいた。入院の可能性があると思っていたらもう少し色々と考えたのだけども。
とにかく、もう、こういうことで煩わされるのはゴメンだ。
母と色々話し合ったが、父は体調を崩したら必ず認知がおかしくなって、医療拘束は免れない。拘束のストレスは精神的なダメージが大きく、結果的に身体へも負担がかかる。病気そのものは治るけれども、入院生活によるダメージのほうが結果的に大きくなる。
身内だから気の毒とかいう以前に、「医療拘束は当然」という考え方で動いている異常な環境(この国では異常でもなんでもないらしいが)が許しがたく、当の病人だけでなく、母も私も疲れ切ってしまう。
で、もう、決めた。
この先、父がどんな病状になろうとも二度と入院はさせない。入院になりそうなら病院へは行かない。という非常識な見解で母と意見が一致した。父とも話すけど、多分、父もそれを望むと思う。
父には特に誤嚥以外に何の病気も無い。86歳という高齢なりの、様々な穏やかな衰えがあるだけ。まだまだ元気で、10年くらいの寿命は残っていそうだ。
入院しないことでその10年の寿命が5年とかに縮まったとしても、もう、いいじゃないか。あんな辛い思いをさせるより。
今は家庭で最期を這えると警察の事情徴収などがあってかなり大変らしい。必要にもかかわらず病院へ行かなかったということになれば、家族は罪に問われることになるだろう。それでもう、一向にかまわないや。
罪だろうがなんだろうが、人間の自由の一切を奪うことを「仕方ない」で切り捨てっぱなしのこの国の医療の現状は許しがたい。我慢がならない。
多くのお年寄りは拘束されるようなことにはならず、父が厄介な少数の問題老人なんだろうが、父とて、別に困らせるつもりでやってるわけじゃない。少数派を黙殺する世の中、ろくなもんじゃない。
彼がどれだけリハビリを根気よく頑張ってここまで回復したか、母がどれだけ尽くしてきたか。それなのに、病院のベッドで両手を縛られながら最期の時を這えることになるなんて、絶対に耐えられない。母も私も、おそらく父自信も。
何らかの病気で苦しんでいる状況だと、「病院で治療すれば楽になる」っていう気持ちに揺れるだろうなあ、なんていう話もしたけど。家で病気が長引いたりこじらせたりする危険や本人の辛さや介護の大変さなどとを秤にかけて考えても、「どっちにしろ具合が悪ければ苦しいわけだし、苦しい状態でさらに拘束までされるよりマシだろう」ってなってしまう。
拘束により急激に認知機能が低下するということはどういう理由なのか。それはたぶん、まともな頭では耐え難い状況に置かれるが故に、自分を少しでも楽にするために認知を衰えさせているように思う。頭がボケたほうが多少は気持ちが楽ってことなのかもしれない。人間ってそういうふうにできているのだと思う。それだけ辛いことなのだと思う。
思考停止、想像力の貧困さ。
ベッドに手を繋がれる。寝返りもできずに眠らねばならない。
たった一晩であっても耐え難い苦痛だと思う。
自分がその立場にならなければわからないのだろうか?
「自分は絶対にそういうお年寄りにはならない」という保証なんか無いってこと、わからないのだろうか?
この国は概ね良い国ではあるとは思うけれど、弱者とかマイノリティーの立場に一度でも陥ると人権を侵害されることがありがちで、ほんと、人権意識が完全に後進国なんだよな。
「多かれ少なかれみんな我慢しているのだからお前も我慢しろ」という暴力的な思考がまかり通る。蔓延している。
まあ、差し当たっては「医療拘束ゼロ」を実践している病院を探して置こう。なかなか無いんだなこれが!
第589回 病院に入院した認知症高齢者のうち身体拘束された経験がある人は45%も!病院側の事故への責任問題が背景に
追記:
この豊かな国を「弱者に冷たい国」にしているのは、ひとりひとりの意識の問題である。国や病院が強制しているわけではない。個人個人の意識が低ければ、意識の低い国になるのは当然の結果。
それぞれ家庭の事情はあるだろうが、高齢者ばかりの病棟では見舞いに来る家族が少ないのがいつも気にかかる。我が家が特別に家族思いなんていうことはなく、むしろ逆なくらいなのだけど。
それぞれの家庭で老人が「厄介者」であるのならば、社会の中でも「厄介者」として扱われるのは当然のこと。社会を作っているのはあくまでもひとりひとりの個人だ。
老人が多い病棟だと、大抵、一割くらいは身体拘束になっている。拘束された患者は、ナースステーションに一番近い病室にまとめられていることが多いし、布団を掛けているとわからないので、自分の家族が拘束されないと気付かないが、長期間の身体拘束はごく普通に行われている。
そして多分、「拘束はなんとかならないのか」ということを病院の側に申し出る家族はほとんどいないんだろうな~。「かわいそうだけれども病院なので仕方ない」と、受け入れちゃうんだろうな~、一般的に。それでなきゃ、わたしたちが毎度毎度、「あたり前のことなのにめんどくさい家族だな・・・」みたいな対応をされるはずが無い。
「みんな我慢しているのだから仕方ない」という意識が、「みんな我慢しているのだからお前も我慢しろ」という社会を作る。
「みんな」から外れたことを口にするだけでも悪、ってのはほんと、日本人の、古き悪しき異常な特性だと思う。セクハラ、パワハラなど、弱い立場から声を上げる人が昔よりは増えているとは言え、それが社会問題にやっとなって来ているとは言え、声を上げる人間は辛い立場に立たされてしまう。
でも、声を上げることからしか始まらない。
せめて、病院側に納得の行く説明くらいは求めればいいのに、それさえしないんじゃ、どうしようもない。老人はどんどん増えるし看護もどんどん人手不足が深刻になるので、個人の尊厳だの人権などはどんどん後回しになっていくのは目に見えている。
不本意なことを「不本意だ」と口にすることを憚っているととんでもないことになる。一人ひとりが口をつぐんで我慢することによって、不本意を受け入れざるを得ない社会を作ってしまう。
人間は生き続けていれば誰でも高齢者になるので、高齢者の問題はすべての人の問題なんだけどな。一部の人間だけが高齢者になるんじゃないんだけどな。どういう病気になるのか、頭はボケるのかどうなのか、それは、どんなに社会的に強い立場にある人でも、それだけは自ら選ぶことはできないわけなんだけど。
いくつかの病院に関わってきて、父のような感じだと拘束になってしまうのは現状では仕方のないことだ。ただ、同じことになるにしても、患者や家族に対しての配慮の度合いにはそれぞれ違いがある。拘束になると見守る必要があまりなくなるので、患者への声かけなどもなく、放置状態にされがちだ。4回の入院経験で、2つの病院はそういう現場だった。「出来るだけ早く退院させたい」という申し出に対しても真摯な対応が無い。
こんなことは、うちみたいな「めんどくさい家族」が増えれば病院側も変わらざるを得ないことなんだけどね。みんながおとなしく我慢してるんだからどうにもならん。
「病院で手をベッドに縛り付けられる」なんて、精神病院で生命に関わる重篤な症状の出ているごく限られた現場だけのことかと思っていたけれど、高齢患者の医療現場では普通にあることだったという衝撃の事実。
「人間が人間にそんなことしていいの?」っていうごく当たり前のことが考えられない世の中ってどういう世の中なんだよ?
今の時代、若い世代がどんどんワガママになって辛抱が効かないなんてことも言われるけど、そんなことより、「文句も言わずに過労死するまで働き続ける」ことのほうがずっと異常だけどな。そんなろくでもない我慢を選択する不幸が起こりがちな世の中よりも、嫌なことを我慢しない人間が蔓延するめんどくさい世の中のほうがずっとまともだと思うけどな。
我慢できない人間が増えることは、長いスパンで見れば良いことだと常々思っている。我慢してたら何も変わらないから。その分、しょうもない勘違いしたワガママな奴も増えてしまうのは免れないけど、みんなが耐え忍ぶような気色悪い社会よりマシだと思っている。
どういう過程を辿るのかはわからないけど、もはや、どっちにしろそういう方向へ行かざるを得ないとも思っている。
何十年後になるのかいつのことだかはわからないけど、価値観なんて、変わる時には一気に変わってしまう。私が生きている半世紀の間でも、様々な常識がひっくり返ってくるのを見届けて来た。
だから、先の世から眺めれば、今の世は未開社会に映るだろうと思う。「昔の人はこんなことまで我慢していたらしいよ。信じられない。なんて野蛮だったんだろう。今の時代に生まれてよかったわ。」ってな感じに。
それは、例えば、「我慢は美徳」を完全に捨てない限りは訪れない。一人ひとりが思考停止し続けてしまったら、とんでもないことにだってなり得る。
まあ、今回のことに限ったことではない。
自分の身の回りに起こっている事態であってもあまりものを考えずにやり過ごす人があまりにも多すぎるっていう、それが私には全く理解が出来ないので、普通に生活しているだけでもこの多数派にげんなりすることの多い日々である。