生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

とはいえ、やる気しね~~、っと!

一向に気が晴れそうにはないのだけど、

ま、だいたい、桜が咲いているこの時期は毎年なんとなく鬱っぽいっていう、

そこに先行きの不安が重なってりゃこんなもんか。

とか思うわけだけど、まあ、こんなようなことを思うたびに、

「もう、うつ病の思考回路じゃないなあ」って感じる。

ふつうに、だるい、やる気しない、元気が出ない、

人間そんなときもあるよっていう、ただそれだけのこと。

 

昨年みたいに「何の天の嫌がらせなんだよっ!」ってくらいにトラブル続きだと、

逆に「こんなのそんなに長く続くわけない、なんかそういう時期なんだろう」って構えていることもできる。「明けない夜はない」みたいな。

ただ、「だるいやる気しない~~」ってのは、それが今の何十倍もの破壊力で何年も何年も続くっていう経験があるものだから、なんだかちょっと怖くなったり。

でも、寛解に向かってからは、幾度となく、

「あの、明けない夜だったらどうしよう・・・・・→あ、大丈夫だ、明けたみたい。」ってのを繰り返し、期間が少しずつ短くなり、「あ~気が乗らねえ・・・まあいいや、一週間ほど、いや、2~3日もダラダラしてりゃなんとかなるさ。→あ、もうダイジョブだわ!」って、そんなふうになっていたので、久々になかなか気が晴れないことに気持ちが焦る。

このごろでは、とりあえず部屋を片付けたり掃除をしたり、「あーやだやだめんどくせーーー。でも散らかってると余計休まらないしーーー。」なんてやってるうちに気持ちがすっかり変わったり。「普通って、健康って、なんて楽なんだ!」なあんて、ただそれだけのことに感動したりして。

今回は、ちょっと長いな~~~。

でも、別にただ気が重いだけで、何も差し迫ってやらにゃならんこともとりあえず無いし。最低限こなして、あとは、食って寝てせいぜいゴミ出しを忘れなきゃ困りゃしない。そのうちなんとかなる。暇ってのはなかなかの苦痛なので、そのうち嫌でも体が動くさ。

なんて、こんなふうに考えたこと無かったなあ・・・・。もっと自分を信頼できていたらあんなことにはならなかったんだろうなあ。

 

長年病院に通ったり色々して、こんなこと続けててもどうにもならないと見切りをつけて、なんとか自分に合う方法をと探して見つけたのが「マインドフルネス」だったわけだけど。まあ、瞑想だよね。

ただ座るだけ、呼吸に意識を向けるだけ。それが、最初のうちはとんでもなく辛かった。そんな中で、ふと気づく瞬間があった。

「そんなに頑張って力を入れなくても、体って、楽にまっすぐ座れるんだ。。。。(ていうか力を入れたら呼吸が浅くなって集中できなくて苦しい!)」まあ、どんだけ頭がおかしくなってたんだよ!なんだけど。自分の感覚では、ほんの少しだけ後ろにより掛かるような感じに体が傾いて、後ろによろけるかと思ったら、それが正しい姿勢だったっていう。若干前のめりになった状態が普通の感覚だったってわけなので、そりゃ、疲れるし、呼吸は浅くなるし、瞑想なんかできないよ。

やはり、体と心は繋がっていて、思考が前のめりなら体も前のめりになってるっていうわけだ。「頭ではわかっているつもりなのに、どうにもならない」という感じに、変に理解力だけはある私には、身体へのアプローチのほうが結果が出やすかったみたい。

楽をするのは悪いことだと、そんなようなことを色々と刷り込まれていたようで、でも、頑張れなくて、そして、わけのわからない罪悪感のようなものが積もりに積もって、こんがらがってしまったのだと、そんなふうに思う。

楽は悪じゃないよ・・・・。むしろ、効率が良いんだよ。

思考は「ほんとうにそれでいいのかな・・・」って言うけど、体はそういう迷い方はしない。体はしゃべってくれないから困っちゃうんだけどね。

 

寛解してからこの数年、こんなんじゃまだまだ、なんて思っていたりもするけど、やっぱり、それなりに突っ走って来たわけで、「頑張ったよな~偉かったよな~」って、ちょっと自分を労る気持ちになってもいいだろうさ。これだけやる気しないのは、そういうことが必要なのかもしれない。「なんか新しいことでもやってみよう」なんて、そんなに前向きなことばっか考えなくてもいいのかもしれないな。

長年染み付いた思考の癖ってのは、なかなか、抜けないものだ。次々と自分に様々なことを課す。そんなに立派じゃなきゃいけないなんて、あんた、何様のつもりなんだよ。

自分に自信が無いって言う人ほどプライドが高いっていう。もう、止めよう、そんなことは。ダサいよ。

 

BGMはクロマニヨンズの「誰がために」なかんじで。前から好きだけど、最近はなにかとクロマニヨンズがはまる。こんなしょうもない歌詞で、そして、ノリがカッコいい。昨年のライブ、良かったな、この曲。ばっかみたいで、くっだらなくて、なんだかそれがもう、一周回ってカッコいい。なんでそんなことができちゃうんだろ。内田也哉子が「生きとし生ける物への愛」とか言ってたけど、世代でもないもんで内田裕也にそんなに興味は無いのだけど、ロックって「生きとし生ける物への愛」っていう側面は大いにあるわけで、だからずっと好きなんだろうな。

誰がために われわれは

誰がために ねころんで

誰がために くつろいで

誰がために われわれは テレビをみてるんだ