生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

母がめんどくさい

母がめんどくさい。

そうはっきりと言い切れるようになったからなんとかなったわけだけど、

彼女がめんどくさいことは今も変わらない。

まあ、歳をとってパワーが落ちているわけで、昔に比べたら今はどうってこともないんだけどね。

「あーもう、この人がこういう発想だから私が苦しむことにもなったんだよなー!」

という怒りがまだまだあるもんで、必要以上にイラつく部分があって、困ったもんだけど。それも、まあ、薄れつつある。

まあ、別に、あの年代には特にふつーにいくらでもいるタイプの人で、ものすごく問題があるわけじゃないけど、ただ、すっごいパワフルな人だもんで、こっちもなかなか大変だったのだと思う。

ただもう、私は長らくうつ病だったことまでひっくるめて私は私だ、っていうふうに、一応、思っているわけなので、「あの人がもうちょっと〇〇だったら・・・・」なんていうタラレバを思うのもいい加減にしたいもんだけど、以前よりも客観的になった分、あらが見えてイラつくんだよな。

もう何年も、「めんどくさくぶつかるような話さえしなきゃどってことない」という距離感でやっているのでなんとかなってるんだけど、相手も高齢になってきて、色々と助けなきゃならないことが出てきて関わりが増えているので、なんだかんだめんどくさい。

 

去年は色々あったので、久々に幾度となくしょうもないぶつかり方をして、

「この人こんなに酷かったっけ?」って何度も思った。

歳をとって、パワーは落ちているけど、その分クドくなってるのはあるけど、

別に前からこういう人だったよ。私の受け止め方が変わっただけ。

 

物事を客観的に見ることが全くできない、自分が正しいと思ったら絶対で、それを人に押し付けるのが良いことだと思っている。人がそれぞれ異なるということを認めない。

もうそれはそれでいいんだけど。世の中そういう人もかなりの数いるよ。ただ、押し付けるパワーが凄まじい。特に身内には。絶対に諦めない・・・笑・・・・もう、もはや笑えるレベルで。

意見が食い違ったら徹底的に人格否定の攻撃。

私の鬱が酷い時は、とりあえずそれなりに我慢はしていたようだけど、時折我慢できずに攻撃してくることもやはりあって、まあ、辛かったね。

それでも、「ここまでやるのはちょっと異常だ」という発想はその頃の私には無かったように思う。あれは、異常ですよ・・・・。

まあ、それだけだったら私も早いうちに見切りをつけることもできたのかもしれないけど、一方で、非常に世話焼き、過保護な面があり、だからもっと質が悪いように思う。いや、明らかな虐待とかでもそういう両面があるのが常だから、まあ、そういう類のことなんだよな。

やることの一つ一つはとても優しい、やりすぎなくらい。殆ど犠牲的。一方、言動では厳しく口うるさすぎ。幼い時期からこれを繰り返されるたらまあ、混乱するし、自立ってできなくなるよね・・・・。

無意識にやっているわけだけど、これってつまり、いわゆる、「私がいなければあなたは駄目だ」という刷り込みをして縛り付ける行為なわけさ。ほんとうは、多分、これを自分の夫にやりたいわけなんだけど、うまくいかないものだから、娘に向けるわけ。

自己犠牲を厭わない、それが、広い愛から来るものなら、美しくもあるのだろうけど、人を支配下に置いておくために犠牲的に尽くす、もう、私にはさっぱり意味がわからないのだけど、結構よくあることだと思う。共依存の関係を作ろうとする人間というのは、よくいるものだ。

共依存という言葉がさっぱりピント来なかった私なんだけど、母とは共依存だったわけだ、長い長いあいだ。

 

「そういうのは冷たい、酷い、人間じゃない」

そんなバカな・・・普通だよ。冷たくも酷くもないよ。

安易に人を「人間じゃない」なんて言う方がどうかしてる。

な~~んて、口が滑ったらただただ面倒なだけなので、絶対に言わないけど。

 

ある程度の距離を取りながら、自分の頭の中にある支配(呪い)を整理して、なんとか楽になったのが数年くらい前のことで、それが去年のゴタゴタで、私の中でもう一段階進んだ。

以前は「まあ、なんだかんだ言っても、正しいこともあるから」くらいだったんだけど、「この人の言ってることをまじめに聞く必要って殆ど無いんだな」になった。あ~あ、無駄なこと頑張ってたなあーーーって、思います!必要な情報だけ入れればそれでいい。寄り添って気持ちをわかろうとしても無駄。なんでこっちの立場をちっとも受け入れる気が無い人間にそんなに優しくする必要があるんだよ。

まあ、そんなふうではあるけど、しょうがない。彼女は彼女なりに一所懸命頑張って生きてきたんだから、良いところだってたくさんあるんだから、そこには敬意を払うし、感謝もするさ。

で、それって別に普通の関係なんだと思うんだけど、不服らしい。もう知らんがな。意見がぶつかりそうになると「もう、こういう話してもぶつかるだけだからもう止めよう」ってなかんじで強制終了するわけだが、すると「そうやって逃げる!」とか言われる。知るか。なんでいちいち勝敗つけなきゃいけないんだよ。意見が違う、ただそれだけのこと。意見が違ったら関係なんか築けないのらしい。付き合いきれないわ。

まあ、以前は「逃げるな」って追いかけてまでなんだかんだ言ってきて、話し合うでもなんでもなく、ただただ人格否定の攻撃を受けるっていう・・・・なんでそんなことを許していたんだろう。もう追いかけてくるパワーは無いので、ひとり、もやもやを溜め込んでいるようだけどな。こっちはもう、今までのようにそれに罪悪感を感じることは無い。罪悪感を抱かせて支配するのが目的なんだからさ。本人、全く自覚が無いけれども。

 

一昨年前の暮れに父が大病をし、大きな後遺症は無いけれど、一気に10歳くらい歳をとった感じで、少し介護が必要になった。この過程で色々なものを見せられたわけだ。

で、この人(母)は、相手が子供だろうが大人だろうが老人だろうが、一人では何一つできない赤ん坊でも可愛がるように、そんなふうにしていたいのらしい。そういうのを目の当たりにしてたら、今までの「父もかなり頑固でしかも変わった人なので、母もかわいそうだよな」という気持ちが全く無くなってしまった。はっきり言って、どっちもどっち、じゃん・・・・。そりゃ、長らく戦闘状態が続くわけだわ。

最近はなんとなくそれなりに落ち着いてきたので、どっちもどっちなんだから知らんがな、で、もういいんだけど。歳をとって色々と一人ではできないことが出てきたとはいえ、相手は一人の大人なんだから、そこ、もうちょっと尊重できないかな・・・・という意味で、これじゃ父も可愛そうだって、初めて父に同情したもんだ。

父が弱ったのをいいことに、完全に支配下に置こうとする魂胆(無意識の)が見え見えで、ドン引きしたもんだ。それが彼女の願望なのなら、そんなものを受け入れたらえらいことだ。まあ、父はそんなタマじゃないので、別に、今までどおりの戦闘状態が繰り返されるだけなので、まあ、やってりゃいいんじゃないの。私の問題じゃないもん。二人で死ぬまでやってりゃいいわ。バカバカしい・・・・。

まあ、このことを通して、色々なもやもやが確信に変わったわけで。

彼女を黙って受け入れていたら、私は、もっととんでもないことになっていたわけだ。

よくも逃げ切ったなと思う。時間はかかったけれども、私は自分を見捨てなかったから、生きる力を全て奪われるようなことにはならなかった。負荷をかけられた分、逆に何らかの強さのようなものが備わった部分もあるようにも思う。

私はそれでも自分の人生を生きようとしていたし、生きてきていた。その蓄積はちゃんとある。うつ病で実質的に何もできない状態が長いもので、「なんの蓄積も無い」なんて思ったりしたけど、単に、「まともな収入を得たことが殆ど無い」っていう、それだけの話だ。それはそれで大変な問題ではあるけど、それだけが人間の価値じゃない。

別になんとかなっているのに、「このままじゃいけない気がする」っていう思いがついて回っていたのは、単なる呪いだ。そんなものに実質は無いのだから、恐れることはない。

 

人と、それなりに密接な関係を作る中でうまくいかないことが多かったけれど、その訳もなんだかわかったな。基本的には「共依存なんて嫌だ」なんだけど、その普通の関係になんとなく物足らなさを感じるんだ。なんとなく、全面的にとっぷりと相手に自分を委ねたい願望のようなものがあった。自分にそういう願望があることに罪悪感を持って隠したり、つい、なんとなく出てしまったりするもので、どうにも自分で居心地が悪いし、まあ、相手も変だと思うだろうさ。

なんとも言えない寂しさのようなものが、ずっと、あったなあ。

気がつくと、もう、いつの間にか、そういうの、無くなってるなあ。

その混乱に病気が重なって、おかしな行動をしでかして、大切な関係を失ってしまったのも一度や二度のことじゃない。残念だ。ああほんとうに、残念だわ!

まあ、済んだことは仕方ない。

それでもどうにかひとりぼっちでは無いみたいだな。

大切にしよう。

きっと、もう、できているはずだ。

 

今日のBGMはSiouxsie And The BansheesのMotherで。懐かしいな。笑

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