生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

毒親ってことにしないと辻褄が合わない

毒親毒親言ってますけど笑

べつに四六時中毒を吐いてるわけじゃないので、

一瞬、「なんか私考えすぎかしら?」なんて、ふとよぎったりすることもある。

な~んて油断してると、
「なんでわざわざこんなこと言うんだろう?」

みたいな、不自然な発言や行動がやっぱりあって、

後から、「ああ、やっぱり、意図があるよね・・・・・」ってなる。
そうなんだよな、毒親ってことにしないと全く辻褄が合わないんだよなあ、と。

 

 

うちの母は基本的に感じが良いし、

見た目もなんかかわいいかんじだし、

人に親切だし、植物や動物を育てるのもとても上手で、

人が何か彼女の欠点を指摘するとしたら、

「気が強いよね~」とか、

「自分の体のことも考えずに頑張りすぎる」

くらいだと思うよ。

もし、私が彼女を毒親呼ばわりしているのがバレたら、

絶対に、私のほうの性格が相当歪んでるってことにされるのは必至。普段から発想が人と違うので、根拠となりうるような材料は色々あるしね~。

弟でさえ、「気持ちはわかるけどそこまでじゃないだろ。合わないだけだよ。」くらいのところだろうよなあ。

 

 

だからこそ根深くて、だからこそ、より苦しめられ続けているんだけどさ。

 

6~7年くらい前までは、全く「毒親」っていう視点を持っていなかったので、しかもうつ病のマイナス思考の只中だったので、

「私が悪いのかもしれないけど、そこまで言わなくてもいいじゃない」

だった。
そう、すっごいくだらないことで、「私が悪い、母は正しい」ということにされて、

徹底的に打ちのめされた。
泣きながら、
「お願いだからもうやめて、お願いだから!

せめてもう少し調子のいいときにして。具合の悪い時は止めて。」

って言って、布団をかぶって耳をふさぐ、

私が具合悪い時に限って怒鳴りつけてくるのだ。

そんなことが何度あったかわからない。

 

もちろん仕事なんかできないし、うつ病が何年も続いてるから友達も減ってるし、

逃げ場のない私は、どう考えても変な男と付き合ったりとかしたよな。何度か。

この家から連れ出してくれるなら誰でも良かったんだと思う、その時は好きなんだと思ってたけどね。今思うとほんと、絶対に選ばない人。

変なやつと付き合うとやっぱろくなことにならないので、

「ほらあなたはやっぱりろくなことはしない。私達にどれだけ心配をかけるんだ。」

という餌を撒く羽目になり、より向こうの攻撃の正当性が出てしまうっていう・・・・・。

 

私が追い詰められている場面を度々目撃している、父って人はいるのだが、

この人が、「妻にも娘にも息子にも、全く関心がない」という、

わかりやすく人間として欠陥があるとても珍しいタイプの人なので、

平然と無視してる。加担もしないけど助けるとかあり得ない。

 

そんな環境で、どんどん具合が悪くなり、

病院に通っていればいずれは治るような種類の病気でもないし、

「もう死ぬしかない。けどどうしてもできないから生きるしかないじゃん。」

 

一時期はカウンセリング(一時間で18,000円)に行ってたけど、お金が無いので月一回、

そんな悠長なことでなんとかなるとは思えないくらい具合が悪い。

ほんとうは、もう、一日だって我慢できない。

それが、明日、また明日、と延々と続く。

一ヶ月先のカウンセリングが、感覚的には半年とか一年って感じ。

ものすごく時間が、月日が、長く感じられていた。

 

さらに私の場合、薬がほとんど効かない。

薬が効かない理由も、今ならわかる。

せっかく薬でぼんやりさせられているのに、

必死に「どうすればここから抜けられるか」と考え続けて、

うつ状態のまともじゃない頭で考えてるから思考が変な方向へ行くので、

「やっぱりもう死ぬしかない」ということになる。

「いや、死ねないし、なんとか・・・・」ってまた必死で考えて、同じところをぐるぐる回る。

これで薬なんか効くわけない。薬を飲んだら休まなきゃだよ。

 

ホイールの中で走り続けるハムスターのようで、

自分の尾を食べるウロボロスのようで、

ウロボロスになってるってわかってるのにそれでもまだ尾に食いついていること以外にできないなんて、そんなバカには生きる資格ない」

なんてふうに思いつめている。

こんな状態から自力で出られるわけないのに、私を助けることができないなんて、

”精神医療も心理カウンセリングも、溺れるものに藁しか投げない”

とかいう八つ当たりの一文をブログにうっかり書いて、

元々友人だった担当カウンセラーに、気がついたら縁を切られていた・・・・・一生の不覚である。大好きな女性だったのに・・・・・。

 

この心の状態は、何か、強制的にぐぐっと違う方向に向けるようなものが、もう絶対必要なんだよなあ、と、

そこで色々と調べて、可能性を感じたのが唯一、マインドフルネスだった。

スカイプの個人講義で5万円くらいだったか。遂にすっからかんになった。

だがしかし、これも結構気力がいるものなので、

酷いうつ状態の時にやるようなものではないわけで、

すっごくキツかった。

なんとか講座終了までの一ヶ月間だけは毎日サボらずこなして、

その後はただただ寝込みました。

一ヶ月間のマインドフルネスのおかげで少しだけ心に変化があったようで、

せめて普通のうつ病らしくなった。

うつ病らしく半年くらい寝込んだら、

またマインドフルネスを少しやろう、と思えた。

あんなに苦しかったのに、以前よりも楽にできた。

この時に気づいたのが、

「頑張らないと座れないと思ってるから体に力が入りすぎて苦しかったんだ!」

で、その気付きがやがて、

「頑張らないと行きられないと思っているのが違うんだ。」

になる。

再発のドツボから2年位でなんとか鬱から抜け出すことができた。

 

 

鬱から抜けたらなんかすごく開き直った感じになって、

「他人が私をどう評価しようが知ったこっちゃない」わけなので、

母からの「あなたは間違ってる」攻撃には屈しなくなっていった。

今思えば、母はこの変化が気に入らなかったのだと思う。

 

「本当に元気になってよかったわ、あなたは凄いわ」とか、口では言ってたけど、本人、本気で言っているつもりなんだろうけど、こんなの大嘘である。

私が自分のことは自分でできるようになって「面倒なことが減ってよかった」ってのはあっただろうけど、私が苦しんでいようがいまいがそういうことにはそもそも関心が無いのだ。(と、今ならわかる)まあ、絶対に認めないだろうけどね。

自分のことを「うつ病で何年も苦しんでいる娘に、犠牲的に尽くしている愛情深い母」だと思うことに意味があるのだ。

ほんとうは、その先に、「うつ病の娘を救った私」があるはずだった。

なかなかそれが手にはいらずに(当たり前だ!)

年々自分も年をとって疲れてくるもんで、遂に、

「お願いだから死んでくれ」発言が出たのである。

こう考えないと全く辻褄が合わない。

 

そういうわけなので、私が自力で病気を治したら都合が悪いんである。

それでも、治った私が「お母さんありがとう、苦労かけたね」となるのならまだしも、

「てめえの言うことなんか二度と聞くもんか」になってるんだから、笑笑

相当気に入らなかったはずだ。

 

まあ、こうして「私が一番つらい時に暴言を吐いて打ちのめすなんて、最低だよな」

という、当たり前のことにやっと気づいたわけで、

だから、母がつまらないことで私を批判してくると、

「まだやるのかよ!」って感じの戦闘モードになるようになった。

もはや口ではこっちのほうが勝つんだけど、腹が立つったらありゃしない。

 

私がさっぱり傷ついたり落ち込んだりしないので、

やがて、

違うパターンの攻撃が来るようになった。

「あなたは私が嫌いなのよ」

 

「好きとか嫌いとかいう問題じゃないから」

ほんとうに、母のことが好きだとか嫌いだとかいう問題じゃない、どうでもいい、普通の意見の食い違いなんだよね。いちいち話を遮ってこっちの言いたいことを言わせてもくれないもんで、イライラしてどんどん声が大きくなるし言い方もキツくなるのだが、

母の方は、言ってる内容はクソなんだけど、パッタリと、大声で怒鳴ったりはしなくなった。

私が一人で怒っているバカに見えるように、

親への恨みを晴らしている大人げない娘に見えるように、

そんなふうにコントロールしている・・・・・。

その伏線としての「あなたは私が嫌いなのよ」なんである。

(もちろん無意識にやってる)

 

こっちは、言いたいことの半分も言わせてもらえず、それで後味が悪くて仕方ないんだけど、

その後味の悪さにこのコントロールが呪いのように効いてくるんだよね・・・・。

私は間違ったこと言ってないけど、もっとうまくやるべきなんじゃないか、とか。

そんな必要全く無いんだけどね。

そもそもたかがくだらない親子喧嘩でしかないんだからさ。

なんでそんな気を使わなきゃいけないんだよ。

そして、私が母に対して敬意を払いつつ優しく同じ内容のことを言ったところで、

また何か別の方向からいちゃもんをつけてくる、そういうことなんだ。

例えば、怒らなければ怒らないで次は「そんなふうに淡々としているなんて冷たい人間だ」とか、いかにもありそうに思う。

どんなバリエーションを持ってしてもそこにはたった一つのメッセージしかない。

「私の支配下にいなさい」

 

そういうのを、無意識にやってるの。

信じ難いことだけれども、こういうおかしなことをやらないと生きられない人がいるんだよ。

つまり、こんなやり方でも自分なりに精一杯生きてるってことなんだよなあ。

精一杯やられてるのでこっちは溜まったもんじゃないんですけど・・・・・。

昔から「私のいうことを聞いていれば間違いないのに」が彼女の口癖。

植物や動物や赤ん坊を扱うのは誰よりも上手なのだが、

意志を持った人間も同じやり方でやるものだと思っている。

十数年の田舎暮らしでは、植木屋も入れずに広い庭の手入れを完璧にこなしていた。

常に、雑草は完璧に取り除かれ、植木はきれいに剪定されている。

私は雑草じゃないし植木じゃないし庭じゃないし、

メダカじゃないし猫じゃないし赤ん坊でも無い。

 

つまるとことはグレートマザーの負の側面そのまんまなわけよ。

子供を抱きしめて殺す、ってやつね。

 

近年になって多かったのが、

「そういう考えの人とは暮らせない」からの~

「出ていけ」と「一階に降りてくるな」

なんだけど、

そんなことはさらさら思ってないことにも気づいた。

私が出ていけない立場だからこういうことを言ってるだけ。

最初はわからなかったんだけどさ、

そこまで言っておいて、

次の日には何事もなかったようにケロッとしてるし、

追い出す算段なんて何もしてないし、

かといって、「昨日は言いすぎた」とか言うわけでも無し。

「なんなんだあの晴れやかな顔は・・・?」

という疑問が湧いた。

私は出ていけないのであるから、支配下にあるのだ、

ということを再確認すると気持ちがスッキリするってことらしい。

なので、私が起これば怒るほど「支配下」である。

なるほどねえ・・・・。

で、何が楽しいんだ?

私がこの「楽しみ方」を少しでも理解できるキャラだったら、

対処法にももっと早く気付けたのかもしれないけど、

さっぱりわからないしわかりたくもない。

人を支配するなんてめんどくさいじゃん、

そんな暇があったら自分のやりたいことをやるよ。

 

なので、私の解釈は

「怒りにまかせればどんなに酷いことをいってもいいと思ってる人なんだな。」

止まりなわけで、ほんと甘いわ~。

なので、確かこのつい先月の喧嘩の「出ていきなさい」では、

「またそうやって怒りに任せて思ってもいないことを言うんだからバカバカしくて話にならないわ。話しても無駄。もういいから出かける準備する。」

で、なんとか打ち切ることだけはできた。

 

そこから私のことに関しては殆ど言わなくなったけど、

私の飼ってる猫とか、私の娘とかについてわけのわからないことを言い続けている。

人間、自分のことを言われるよりも、自分の大切なもののことを言われる方が頭にくるもんだ。

こういうことを殆ど意識せずに次の手段として選択してくるんだからさー。

 

「なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ?」

と考える私は思うツボにはまっている。

なんでもへったくれもない。

もはや私を傷つけたり困らせたりできなくなってきているので、

怒らすことができればなんでもいいわけさ。

私の最終目標である「この人は私と関係ない人だからもはや怒りも沸かない」状態になられちゃ困るわけさ。それじゃあ、対等かそれ以下になっちゃうもんねえ。

怒る私ならまだ支配下にいるのである。

日に日に、あまり怒りは沸かなくなってるんだけどね。なんとなく裏がわかったので。しっかし不愉快極まりないわ。

不愉快になるのなんて別に当たり前なんだけどさ、

当たり前のことをしているわけにはいかない。

不愉快にさせるだけでも支配下にある快感を得てるんだろうから。

何が楽しんだろう・・・・?

 

カウンセリングで「雑談厳禁」の指導の意味を実感したのはつい、昨日のことだ。

アマゾンにドラマ「カルテット」がアップされてたので、つい、

「あんなに美人じゃあないけど、カルテットの満島ひかりは、やっぱり雰囲気が〇〇ちゃん(私の娘)に似てるよなあ」と何気なく言うと、

いつもならこの話題は無難なやつで、「似てるよね~ほんと」とかそういう会話になるはずなんだけど、

「でもあの子は愛想が無いのが残念だわ。ああいうふうだと損するわよ。」

突然何?

「でも愛想なんか無くても別にいいんじゃない?私みたいに、条件反射でニコニコやってると、自分と合わない人が寄ってきてめんどくさい。あの子にはあの子に興味がある人しか寄ってこないから楽でいいよ。どうせ私とよく似て普通じゃないんだからさ。私は普通だと思われちゃうから逆に面倒なことになりがちだよ。」

↑まともに相手するバカである

「でもそういう性格は損するわよ。」

このくらいではもう腹は立たない。

私はあの子の無愛想はけっこう好きなんである。ちょっとカッコいいんだよね。

私が好きなんだから別にそれでいいじゃん?あなたの評価なんかどうでもいいし。

なんだか私も「あなたみたいにバカ正直だと損する」だのなんだの、色々言われてきたけどさあ、「損する」って言葉、好きだよね。

私も彼女も「損か得か」なんていうつまらない基準で生きてないから。損だろうが得だろうが、やりたいことをやりたいようにやるほうの人だから。

で、この「損するわよ」は何も言わずにスルーして(やっぱ雑談なんかするもんじゃないわ)と思いながら適当に2階へ去った。

 

で、さっきのはなんなんだろう?と、バカみたいに考えていた。

そんなことを気にかけるほどあの人、孫に関心無いと思うけどなあ?

(娘が来ると一応嬉しそうにはしているんだけど、面倒くさい気持ちのほうが勝ってるような印象を受ける。さらに、娘と私が仲がいいことへの嫉妬のようなものが伺えることもある。)

電話カウンセリングで少しそのことを話すと、

「ああ、なるほど」という感じで、

「次はこういう手が来るかもしれないから、こんなふうに対処するように」という感じの、先を見越した具体的な対処方法を色々と伝授していただきました。

「反応したら負け」っていうゲームの必勝方法。

結構難しいけどやるしかないわーーーーー。

 

「昨日は、湿布貼ってくれって2階に来たよそういえば」

と何気なく話した。

まあ私も、”自分の弱さを武器に同情を求めて、なんらかのスキを付いて私に「年をとった親に対して優しくできない嫌な娘」という罪悪感を持たせようという、そういう次の手なのかも?。”と疑い始めてはいた。

で、やっぱ、そういうことなのだと。

何度も言うようだが、何が楽しいのそれ?????????

 

でも、やっぱり私も着実に変化してきてるよなあ。

先日の、何だか知らないけど一人で大きな脚立を運んでカーテンを外そうとしてた件も、

昨日の、何だか知らないけど急に私の娘をディスって来た件も、

反応してないわ。後からブログで愚痴ってるくらいで。笑

 

まあでも、まだ、「なんなんだこの意味のわからない行動は?」とポカ~~ンとしてしまって反応できないだけなんだけど。笑

こうして書いているうちによくよく意図が飲み込めてきたわ。

 

そろそろ、

「なるほど、そういう手で来るか」

という余裕が出てくるかもしれないよなあ。

そのためのアドバイスを頂いたのである。

「自分のタイミングで関わる」という鉄則である。

なるほどなるほど~。

カウンセリング中も「なるほど~」って聞いてたけど、

いやもうほんとうに「なるほど!!!!!」だわ。

や~~~~っぱこれ、一人じゃ無理だわ~~~~~~!!!!!!

 

まあ、なんというか、

人格を否定しているのに「あなたのためを思って言っている」

意見が合わないと「私の言うことを聞いていれば間違いない」

失敗しようもんなら「だから言わないこっちゃない」

まともな母親の辞書にはこういう言葉は無い。

 

ましてや、

「人間として最低」

「あなたは鬼だ」

「心が腐ってる」

「お願いだから死んでくれ」

そんな言葉は出てくるはずもない。

 

 

さて、今気づいたのだが、

今日は何事もなく静かである。

一階の廊下で子猫を構っていても母が出てこない。珍しい。

今日は湿布は貼らなくていいらしい。

あんなに痛がっていたのに一日で治るんだね。←もちろん嫌味

持ち前の勘の良さで「この手は通用しない」と気づいたのだと思うよ。

で、

「自分のほうから関わらなければ寂しくなって降りてくるんじゃないか?」

という試し行動に入ったのではないかと推測する。

いい機会だ、明日から1階のコーヒーメーカーを使うのを止めよう。

念の為、自分でもコーヒーのフィルターその他一式を揃えておいたのである。

自然に使えるタイミングを図っていたのである。

意外に早かったな。買っておいてよかった。

 

そして、今日も「なにか変?」にその日のうちに気づけた私である。

しかも、hikariさんに聞かなくても気づいたし。

やっぱり、背中を押してくれて勇気づけてくれる人が必要だったんだな。

Y先生、ありがとう!!!!!!!

 

 

必要じゃないものが

勝手に形つくって

消せなくなって

その存在を主張し始める

一体誰なんだか その正体は

もう、やかまし

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