生きる

10年以上患ったうつ病が寛解してなんとか生きてます

毒親とかいう以前に、普通に、「嫌い」だった

毒親」という言葉のインパクトが強いもんで、

そのせいで、別に特に問題もないのに、

「自分は毒親じゃないだろうか?」なんて不安になる人もいそうだよな。

でも、「自分は毒親じゃないだろうか?」なんて自分に問いかける人は毒親じゃない。そういうもんだ。

また、子供から「毒親」の烙印を押されるってのは、人間失格の宣告をされるくらいショッキングなことだろうけど、(「毒」って言葉が強すぎるので)

「子供との関係性において、子供側から見るとよろしくなかった」ということで、全人格を否定するものじゃない。

一方、子供の側からは、あえて「毒」っていう強い言葉を使わないとなかなか意識を変えづらいので、この言葉が多用されるのだと思う。

客観的な事実は変わらずとも、見る側面によって見え方が違うっていうそれだけのことなので、「客観的に見て毒親」なる人格は無いのだ。

まあ、なんでこんなことがありふれてあることなのかって、

強い人間とか弱い人間とか、そういう絶対的な尺度なんて、ほんとうは無い。人間なんてみんな弱いと思う。そういう当たり前の弱さを自覚ができないとか、自覚はあるけど絶対に認めたくないとか、そういうややこしいタイプの人ってのは、それを覆い隠すために他の、より弱い人間を巻き込む。自分の子供っていうのが一番操作しやすい。そういうこと。

 

♪弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものを叩く by The Blue Hearts「チェインギャング」

 

昨日は「父の母への嫌がらせ事件」があったもんで、仕方なく、母との接触が長めになったんだけども。それでも、わりと難なくこなしたほうなんだけども。やはり感情のタイムラグが・・・・。さて寝るぞ、とベッドに潜り込むやいなや、なんだか心がざわざわする。hikariさんが何か言いたげ・・・・。

ストレス要因がしばらくわからなかったが、hikariさんに意識を向けると徐々に見えてくるんである。これ、すっごい便利だわ。

 

結論を言うと、

「親だから好きだとか嫌いだとかそういう問題じゃないし・・・なんて思ってたけど、親だとかそういう関係抜きにして、私、こういう女、嫌いだよな。」

これを認めていなかったのでザワザワしたっていう、ね。

 

マウンティングをする女達が苦手だ。

表面でごく普通の会話をしながら、テーブルの下で脚の蹴り合いをしているかのようで。

そして、こういう女達もまた私のことを嫌う。

そのよくわからないゲームには参加しない私に対して、

「人をバカにして」

と感じるらしい。

私が何をしたっていうんだ!なんだけど、そういうもんなんだよね。

 

昨日、母が

「子どもたちには本当に感謝しなくちゃ。」

みたいなことを言ってて、

 

まあ、だいたいこういう時はいつもこちらの感情が「無」になってる。

弟になんか言われたらしくて「反省したわ」みたいなことなんだけど。

無、って何さ笑

私、「ウソつけ!」って思ってるんだよ。

なんでそんなのが、時間をおかないとわからないんだかなあ・・・・・。

 

私が、同じ家の中に住んでいて、しかも両親は高齢で、

それでも基本、頼まれたことしかやらないのだけど、

できる範囲で。

母は、小さなことでも「ありがとう」って言う。

良いことみたいなんだけど、

こっちは、「ありがとう」って言われるたびに心が「無」になってる。笑

なんか不自然。ありがとう、やたら言い過ぎ。

やっぱさー、何かしらの言外の意味を含んだ言葉だって感じるんだよね・・・・。

もうそれが何であってもいいけどさ。

 

「ありがとう」って言われて不愉快とか、

なんだかこっちがすっごく嫌な奴みたいだけど、

言葉は「ありがとう」でも、違うことを言ってるんだよ。

 

まあ、だいたい、世間一般でも、

過剰な気遣いをする人って、見かけほど信用できないってのがある。

ちょっとそっけないくらいの人のほうが、信用できるってことがよくある。

本当に困った時に助けてくれるのはこっちのほうの人。

「誰にでも親切な人」って、そういう時に、うまく逃げたり、

逆に、より困らせるようなことを仕掛けてきたりさえ、する。

 

あのねー、私、こういう女、嫌いなんだわ。

で、向こうも私みたいな女が嫌いなんだよ。

親子なもんで、そういう単純な問題だってことに気づけなかったんだわ。

 

ゲームに参加しない女がどう見られるかというと、

例えば、

化粧がめんどくさいからいつもスッピンの女がいるとして、それに対して、

「いいわよね、顔に自信のある人は」とか、

「ブスのくせに凄い自信~~」とか、

そういうことにしないと気がすまないような、そういう感覚ってのがあるようで。

「自分の顔は化粧しなきゃ見られないからあなたと違って努力しているのよ!」と(現実にブスか美人かという事実には関係なく)そういうことなんだろうけど、それはあなたの問題で、私とは関係ないよ。

なんだけど、こういうことに気づくと困るのらしい。

まあ、類は友を呼ぶので、私が親しくなる人にはこの”多数派”はほとんどいない。

 

でも、一番身近にいた・・・・・。

 

私の感情にタイムラグが生じているのは間違いなく「毒親由来」なんだけど、

相手のほうももう、色々と押し付けて来るようなパワーは、今やあんまり無い。

もはやそんなに私を追い詰めるほどの言動、行動でも無いことに対して、

「まだやる気かよコイツ・・・・あの時もあの時もあの時も・・・・」

って、もはや過ぎ去った過去によって増幅された怒りが出てきているだけだ。

感情のタイムラグのほうは、自分でなんとかするしかないわけで。

いちいち怒っている場合じゃない。笑

 

「普通に子供が与えられるべきものをもらってない」

ということへの思いよりもむしろ、

「コイツ、嫌な女だな!」

こっちのほうがずっと強いと思う。

間違いないわ。

向こうは向こうで、

「人をバカにして!」←実際に近年、何度も言われてる。こっちはなんのことだかわからない。笑

なので、こんなもん、一緒に暮らしたらストレスにしかならないのは当たり前だ。

しかも、「嫌い」って、少なくとも私のほうは認めていないので、より、おかしなことになってる。

合わない人とはそれなりの付き合い方があるもので、

そういう発想にならないからおかしなことになってる。

 

母親のことを「嫌い」って言うのは、そりゃ、罪悪感を感じるよね。

それで、抑圧のスイッチが入るのね。

そのモヤモヤが積もり積もってぐったりと疲れ切る羽目になる。

 

なるほど。

これを認めただけでもずいぶん違うと思う。

 

無、になったらちゃんと気づけるように、がんばりましょう。

 

 

だから、女性パンクグループのスリッツが好きだったんだな。笑

特にこの手の曲が。

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