50年戦争
朝からバタバタに巻き込まれたけど、
気持ちの距離感が出てきているので、ダメージは少なめのように思う。
延々と繰り返されるパワーゲーム、終わることはないんだから、巻き込まれてはいけない。
朝目が覚めたのが8時少し前か、コーヒーでも淹れようかと思ってたら何やら焦っている様子の母に呼ばれた。
「おとうさんの入れてくれないかな?」
「?」
いつものことだけど何の話かわからない(笑
父は、内臓などの疾患は無し、足腰も弱ってはいるが家の中の移動に支障は無く杖無しで歩ける、認知機能の衰えはあるけどボケてるってほどじゃない。しかし、嚥下障害だけが酷いので胃ろうになった。病院では普通の食事は禁止されていたが、退院してからは何でも食べさせている。医者は良い顔をしないけど、ここまで元気な人に「物を食べるな」なんて、生活上無理だ。まだまだ、10年位の寿命はありそうだし。そして、おそらく食べたからこそ、退院後の体力の回復力は驚くべきものだった。この2年で一度だけ肺炎になったが重症にはならず、3日ほどで回復した。ということで、基本は普通の食事で、朝食とデイケアでの昼食は胃ろうの栄養剤になっている。
母が言っているのはこの、朝の栄養剤のことだった。
金曜日は父がデイケアに行く日。9時少し前に迎えが来るので、まだ一時間あるとはいえ、十分な余裕は無い。
いつものことだが、父はおそらく「デイケアで見栄を張りたい」という緊張感から、夜中に何度もトイレに起きる。昼間はトイレに行くくらいは見守る必要が無いくらいしっかりしているけど、夜に目を覚ます時は少しふらついたり頭がぼんやりしていたりするので、ちょっと目が離せない。そんなわけで、デイケアの前の晩はいつも、母は夜中に何度も起こされるわけ。それで、今日は朝方から深く眠ってしまって寝坊したらしい。父の方は朝6時くらいに起きているが、母を起こさずにいたらしい。(よくあることです)
「なんで起こしてくれないのよ!早くから起きてたんでしょ!よく寝てるからってなんなのよそれ、一人で準備できないでしょ!まだ栄養間に合うわよ、お腹に何も入れないで行かせられないわよ!」
そういうことね。ありがちありがち。私が栄養剤を入れたほうが力があるので早いってことで呼ばれたと。
私「おとうさん、意外に変なこと意地悪だよね~。」
母「ほんとうになんなのかしら!」
本当にわからないのかね?わからないんだろうなあ・・・・。
要は、父も母も、外に向けた体面を最優先にして、優位な立場を奪い合いしてるんである。それで殆ど無意識に変な行動をするのだ。くだらないのだ。
父のストーリーはこうである。
今日はお腹に何も入れないでデイケアに来た、と。妻がよく寝ていたので(優しい私は)起こさないであげた、と。こんな優しい私に対して妻はちっとも優しくないので私はかわいそうなのである、と。
父がそんなに優しい人じゃないのは職員にはほとんどバレてますけどね・・・・・皆さん、どっちかといえば母の心配しかしてないしね。だからこそやりたいのかもしれないけどさ。
さらに、母がなんとかちゃんと準備をさせようと困っている様子を見ても、なんとも思わないどころかむしろ快感なんだと思う。常に自分を思うままに支配しようとしている妻への嫌がらせ行為なんだよ。多分、無意識にやってる。
まあ、事態が一応収まり、母がブツブツ言ってますけど。こういうのに付き合いたくはないのだが、言いたいことの半分くらいは言っておこうと。
「本人、無意識にやってるだろうけど、これ、嫌がらせだからね。そうやってバタバタしたら思うツボだよ。お母さんを起こさずに準備が整わなくて困るのはお父さんなんだから、堂々と寝てりゃいいと思うよ。嫌がらせでやってるんだから、悪いなんて思ってないし、どんなに完璧にやっても絶対に報われないよ。」
まあ、このやり方でも父の思うツボにはまるわけだが、どっちかと言えばこっちのほうが楽なんだよね。という提案はしておくが、「そうよね・・・」なんて聞いてるけどさ、母にそれができるわけがない。わかってるけど、言いたいことを腹に溜めるとこっちのバランスがおかしくなるのである程度までは言っておく。
ここからは、言うとめんどくさいから言わないこと。
母にできるわけがない。母もまた、体面が最優先だから。
難しい性格の父で色々と苦労が多いけど、老々介護の家庭とは思えないほど家の中も清潔によく片付いているし、何もかも完ぺきにこなして頑張っているとても偉い奥さん、時々、すごく疲れた様子で気の毒だ。
↑この評価を手放すわけにはいかないので、準備が不十分なままの父をデイケアに送り出すなんてことは、絶対にできないと思うよ。
二人揃って無理ゲーに嵌ってるんだから、お似合いである。死ぬまでやってりゃいいわ。
「どんなに完璧にやっても報われないよ」なんて言っておいたけど、母はそもそもそんなものは求めちゃいないだろう。「報われないのに頑張っている悲劇のヒロイン」でいたいだけなんだ。長い間騙され続けていたけどさ。
報われないとわかっているから、「なんとかしてこの人を私の支配下に収めよう」という方向にエネルギーを注いでるだけだ。そもそも、私が幼い頃からずっと、この二人の関係はそういうものだったんだ。そして、「父が要介護となった今こそ、自分の優位が確立するはず」というのが母の思惑なんだけど、なかなかうまく行かないのよね。
多かれ少なかれ、夫婦間ってこういう要素があるんじゃないのかね?私は戦線離脱しちゃったから知らないけどさ。そして、彼らの場合、両者の力が常に拮抗しているので、家庭は常に戦闘状態であった。50年以上やってますよ~~~~。
「戦場に咲いてしまった~~~銃声を聞いてしまった~~~」by ザ・ハイロウズ「不死身の花」
昨日、「関係ないからもはや怒りも沸かない」ってところに早く行きたい、とか書いたけど、それで、ちょっと思い出したことがある。
マインドフルネスの手法だ。
人と会話していている時などに湧き上がる感情に囚われそうになったら、「妄想・妄想・妄想」と心の中で唱えてその感情を手放しなさい、というようなのがあったはず。いやほんと、そんなの何の解決にもならないじゃない!と言いたくなるような人をバカにしてるようなやり方なんだけど、これ以外にダメージを受けない方法って無いじゃんね・・・・。どんなに関わらないように心がけていても、同じ家に住んでいるからには逃げようのない事態ってのはこんな風に出てくるんだからさ。逃げると余計面倒になる事態ってのがいくらでもあるよね~~~。
まだ、「関係ないからもはや怒りも沸かない」には到達できていないわけで、怒りが湧くのはそれはそれで認めて、そこに囚われないようにする、と。囚われているとどんどんその怒りの感情(妄想)を育ててしまうんだよ、っていうね。ほんと、正しいよね!ムカつく論理だけど、正しいよねっ!!!笑
「起こっている事実」を変えることはできない、ましてや他人を変えることはできない。自分の感情が動くのは当たり前に起こることで、あっていい。でも、「物事を判断すると苦しみになる」から、手放したほうがいいよ。できなくても、まず、気付くこと、そして、そこに囚われないこと。「怒り(その他)の感情がある」ってことは認めて、そのままにしておけ、と。「間違ってるだのへったくれだの」って言う判断をやると苦しみは増幅されるちゅーことで。ほんと、正しいよねっ!!!!笑
ただ、問題なのは、ほんとうに私は感情の抑圧が強力なので、「今自分は怒っている」とか「今自分は悲しい」とか、気付くのにすっごいタイムラグがあるもんで、気づかないと手放すものも手放せないわけでさ、瞑想がもっとちゃんとできれば色々な気付きも得られたんだろうが、そこまでできなかったよねー。
当時は、マインドフルネスと傾聴カウンセリングと、両方やるお金も無かったしさー。
瞑想を無理無理やってわかったのは、瞑想の座る姿勢で呼吸に意識を向けるのが、何故か苦しくてしょうがないんだけど、やっているうちに、「何もしなくても体って普通に楽に座れるよね・・・」っていう、当たり前のことに気付いたっていうね。普通に座るだけのことなのになんで「頑張らないとできない」って思い込んでるの?っていうね。つまりは、「頑張らないと生きられない」っていう思い込みがあることに気付かされたわけ。
で、「頑張らなくても別に生きていけるはずなんじゃないの?」って、ひとつひとつ頑張ることを止めていったから、ある程度回復できたんだけどさ。ある程度回復したらクソつまらない瞑想なんて全くやる気が出なかったけど、あまりにも心がざわつく時にはやったりもしてた。とりあえず、少し楽になるのでね。瞑想をやると「なんかわかんないけど大丈夫じゃん」って思えるんだよね。大抵の問題は「今ここ」には無いからね。
それでもまだわけのわからない浮き沈みがあって、もうそのままでいいことにしようとしてるけど、「そんなはずない」って感じるんだよね。なんとかできるはずだと思う。だから、今また、色々と変えようとしているわけで、多分、なんとかなると思う。生まれつき生きる気力が無いとか、そんなの、あり得ないから。ただ生きることがこんなに苦しいはずない。私の抱えている「生き辛さ」は、手放すことが可能な妄想なのだ。その妄想の正体が、もう、わかりつつある。たぶん、どってことない。「幽霊の正体見たり枯尾花」ですよ。
いるのかいないのか知らないけどさ、
神もかなり性格悪いと思うけど、
仏も相当なもんだねっ!
このくらいは言わせろ!!!!笑
♪
グリセリン・クイーン
生きてるうち できることはなんでも
グリセリン・クイーン
やってしまう
毎秒が伝説
神は性格が悪い、どころかろくでもないDV男だった!という最高の映画がこれ。